四天王を安置

4月1日、「平成」に代わる新元号が「令和」と決定しました。出典は我が国最古の歌集『万葉集』で、日本古典からの引用は初めてとのこと。645年の「大化」以降、248番目の元号となるそうです。

その元号発表の頃、西願寺では四天王像をお迎えする工事をしていただいてました。四天王とは、お釈迦さまから 自分が亡くなった後に仏法を守護するように託された神といわれています。東方を護る持国天(じこくてん)、南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、西方を護る広目天(こうもくてん)、北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。

実は西願寺では この仏像をお招きすることは悲願でした。予算の都合で、昭和62年の授戒会、平成21年の五重相伝の際には、紙に四天王の名前を書き、四隅の柱にお祀りしていました。それが今回ご縁があり、お迎えできたのです。西願寺建立の「天正」から数えて、43番目の元号発表での時期となりました。

持国天は東方の守護神。
持国天の名前には「国を支えるもの」と言う意味が込められています。
武器を持ち、国家安泰のご利益があると考えられています。

増長天は南方の守護神。
増長天は、「増大するもの」という意味から成長や豊穣を司る神とされます。
この像は 珍しく琵琶を持たれたお姿となります。

広目天は西方の守護神。
様々なものを見抜く力があると言われる神様で、他の四天王と違い
武器を持たず筆を持つという特徴的な像もあります。
また龍神を従えて西方を守護するともいわれ、この像は竜を従えたお姿をとられます。

多聞天は北方の守護神。
四天王という一括りの守護神の中では多聞天と呼ばれ、独尊で祀られるときに毘沙門天と呼ばれます。
釈迦の遺骨を納めた塔(ストゥーパ)を持っておられます。

作家の中嶋真澄氏のお言葉です。
もし、あなたがなかなか自分自身の道が開けてこないということで悩んでいるなら、
まだ当分というか、これからもずっと、あきらめないでほしい。
あなたにとっては、ただたんに時が熟していないという
ことだけのことなのかもしれないからだ。
それぞれに時が熟する時期がある。
それはいつなのか、わたしたちは自分でそのときを見定めることはできない。
できるのは唯一、あきらめないことだけなのだ。
時が熟するまでに随分と時間がかかることがある。
一夜で熟する果実もあれば、長く風雪に耐えて、やっと熟する果実もある。
あなただけの “ 時 ” がきっとくる。

(『幸福コンプレックス』 大和書房より)

今回、時代の移り変わりの最中に四天王をお祀りできたことは、最上の悦びです。西願寺の歴史の最初に聖徳太子がいらっしゃいますが、四天王を篤く信奉されたのが聖徳太子で、国家鎮護のご利益があります(歴史の節目の安置は、太子のお心が届いたのかもしれません)。また 工事の最中には、晴天の中で小雨が降り(これは神仏が反応されている証です)、工事が終わった途端、近くで大きな雷が落ちました(最高の厄落としです)。430年の西願寺の歴史にとって、今回が最高の ” 時 ”(タイミング)だったと確信しました。明日、善導忌(平成最後の法要)で魂入れをさせていただきます。

「令和」の時代は、「平成」で薄れていった四天王の功徳【国を守り(持国天)、心豊かに発展し(増長天)、広い視野で物事を見(広目天)、多くの意見を聞き、胆力をつける(多聞天)】という、日本人が原点に戻る時代になることをお祈りします。合掌

台座は、登録総代の浅尾嘉明さまが手作りで設置・寄付して下さいました! 
さすが建具屋、巧の技です。永代の功徳を積まれました。
四天王像の寄付をお考えの方も功徳を積みませんか?まず住職までおたずね下さい。檀家内外を問いません。
寄付札を設置し、永代祀らせていただきます。

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