先日、先代の3年忌を迎えました。早いものです・・・あっという間に私も40代。報恩の誠を捧げつつ、自らの現状を振り返ってみました。住職となり、奉職寺院では融通を利かせていただける立場となり、琵琶説教では各所からお招きを受けるようになり、家族元気で、息子達も寺の手伝いをしてくれています。これは先祖が喜んでくれるあり方を模索し続けた結果であり、すべては仏の見守りがあってのことだと感謝しています。しかし、望みが叶うと同時に 別の悩みや忍耐を抱える自分がいるのも正直なところです。うまく言えませんが、苦労一つとっても、昔は自分のことだけを考えれば満足でした。一つのことが終われば「そこでおしまい! 後は自分の時間 ♪」という刹那的な喜びで満たされてましたが、今は一つのことを勤め終えても、そこから責任が広がり、ずっと何かを背負ってる感覚です。大笑いもしなくなりました(笑)・・・年を重ねるというのはそういうことだと存じます。それを味わう年齢となりました。
『朝日新聞』が掲載した「100人の20世紀」に選ばれた一人に、ナイロンを発明した米国のウォーレス・カローザスという人がいます。彼は、ナイロンの開発で莫大な財産を築き、勤務先のデュポン社から破格の待遇を受けていました。その中には「生涯、どこへ旅行し、どんな高級レストランで飲食しようが、費用の一切は会社が持つ」というユニークなものまであったそうです。はたから見れば、うらやましい限りで、私たちが思い描く「幸福」というものをすべて体現したかに見えますが、彼は41歳の若さで自殺しているのです。もし、お金や財産に恵まれ、他人から高く評価され、地位も保証されることで幸せになれるのなら、カローザスの悲劇はありえません。
『小さいことにくよくよするな!』の著者で有名なリチャード・カールソンの言葉です。
私たちの頭の中は、どうしたら幸福になれるかという思いつきや計画でいっぱいだ。
夫や妻の態度が変わりさえすれば、
自分は幸福になれるはずだ、と信じ込んでいる。
支払いを済ますことができれば、
あるいは収入がもっと増えれば幸せがやってくると考えている。
子どもがもっとよい成績をとってくれば、
裏庭の雑草がこんなに速く伸びなければ、
あるいは時間がありさえすれば…。
望みはどんどん広がっていく。
そして、一つの望みがかなえば、別の望みを持ち出し、
この望みさえ実現すれば、
待ち望んできた心の平和が訪れるのだと考えるのである。
悲しいことに、望みがかなったとしても、
心の平和を感じていられるのはほんのつかの間である。
あなたの心は、最初に条件を作り上げたときと同じような働きをまた繰り返す。
ストレスを減らすためには、
望むものを手に入れて幸福にはなれないのだと、
理解する必要がある。
幸福に生きるための近道は、
穏やかな考え方を身につけることなのだ。
望むものを手に入れるか入れないかは、問題ではないのだ。
(『あくせくするな、ゆっくり生きよう!』 主婦の友社)
結局、この悟りは仏教で言う ” 諸行無常 ” を受け入れることに尽きます。人間界で望むものは、いずれは移ろいゆきます。壊れてしまう幸せです。どんなに楽しい毎日を送っている人も、いざ不治の病にかかり、病室で一人、死に向き合わねばならなくなると、すべてが無味乾燥に感じてしまいます。「諸行無常を知り、穏やかに過ごす」・・・お釈迦さまは、死んだらどうなるかわからない、後生ハッキリしない心が 平安を妨げるのだとお説きです。究極のところは、死んだらどうなるかわからない・・・この部分をクリアすれば、すべては明るく、崩れない幸福が待っているというのです。” この世の幸福 ” と ” この世とあの世を貫く幸福 ” 。この両輪を持つこそが本当に幸せな人になれるのです。そういう意味では、身内の死を偲ぶ法事は大切な時間ですね。3年前に往生した先代の命日から このようなことを 改めて学ばせていただきました。合掌