機嫌の良い距離感

今年もあとわずかになりました。時代は「平成」から「令和」に変わり、「明治」「大正」の時代の方々を知ってる「昭和」生まれの私にとっては、めまぐるしい時代の流れに翻弄されています。

一番変わったと思うのは、日本人の気質です。最近は 毎日のように、人間関係のトラブルや殺人、いじめ、ストーカー被害等が報道されています。昔の方々は 良くも悪くも他人を察する心があったように思います。目を見て挨拶をし、相手の考えを考察し、自己犠牲ができた方が多かったように見受けられます。またその精神が、自らの心をを調えるバロメーターになっていたのかもしれません。そのために華道や茶道、お寺に心の拠り所を求め、人々は 自他協調のバランスを調えていたのでしょう。

現代は真逆です。核家族や鍵っ子、ゲームやネット、マニュアルや合理的な思考の影響か・・・他人に無関心で、自らの欲望を満たすことを第一に考え、権利や主張に生きてる人が多くなった感じがします。残念ながら、自らの考えに添わない人は 上下に関係なく排除してしまうような時代です。しかし、どんな時代になっても人との関わりは無くならないものです。相性がありますから、みんな仲良くする必要はありませんが、これからの時代は、人付き合いの ” 機嫌の良い距離感 ” を勉強すべきなのだと思います。理想論者は多いですが、他人の心は変える事なんてできないんですから・・・自ら察して、機嫌の良い距離感を保たなければなりません。

人付き合いで一番難しいものに恋愛があげられますが、その悩みに DJあおいさん が的確(過激!?)に答えて下さってます。

恋愛熱量が高い人って怖いんですよね
こんなにも熱烈に愛してくれているのになぜ恐怖を感じてしまうのか
好きでいてくれるだけなら害はないはずなのに
なんとも形容し難いホラーを感じてしまうのはなぜなのか

それは恋愛熱量が高い人は
怒りや悲しみといったマイナスな感情もコントロールすることができないから
恋愛熱量が高い人ほど病的なヒステリックを起こすことが多いからなんです

恋愛熱量を適正にコントロールできない人は
怒りや悲しみも適正にコントロールできない人であり
だから過剰な恋愛感情を表現する人は『怖い』と感じてしまうわけです

長く付き合ってれば話し合いによって乗り越えるべき山場なんて腐るほどあります
話し合いに必要なのは理性ですから
理性を失うほど恋愛熱量が高い人は話し合うべき場面でも理性を失い
何をしでかすのかわからない狂人になって
ついには好きな人でさえも傷付けてしまうんですよ

理性は感情のラジエーター
適度に愛してくれる人は
怒りや悲しみも適度に抑えて
理性的に話し合える恋愛になります
だから適度に愛してくれる人との付き合いは
安心感のある恋愛になるんです

大事なのは恋愛感情ではなく
恋愛感情の熱量をコントロールする理性にあるということですね

だいたい恋愛熱量が高い人で
楽しそうな人なんて見たことがありません
禁断症状を起こして震えているか
ガンギマリシャブ太郎のようにアヘ顔で恍惚としているかの二択

『楽しい』という領域に止まるためにも理性は必要
何が嬉しいかって
恋人が楽しそうにしているのが何よりも嬉しいものですからね
そして楽しそうにしているのが
最高の愛情表現になりますからね

恋愛だけでなく 一般生活に当てはめても、納得する回答じゃないでしょうか。ここで言う恋愛熱量も理性も、結局は ” 機嫌の良い距離感 ” のバランスなんだと思います。どちらかに傾きすぎても うまくいかないのです。ここが現代人の課題なのだと思います。寺経営でも熱量を増やすと煙たがられ、理性的になると嫌われます(笑)。お互いに察し合って、機嫌の良い距離感で安心を分かち合う・・・これが、これからの幸福の尺度になっていくものだと思います。そのためは、目を見て挨拶をし、相手の考えを考察し、自己犠牲ができような器量を持つ・・・時代遅れと言われそうですが、自他協調の修練が「令和」の時代に最も必要な修行だと思います。

君子の交わりは 淡きこと水の如し(荘子)
[現代語訳]よくできた人物の交際を見ていると、あまり他人の実情に深入りしないことが多いようです。良好な人間関係を長く維持していくためには、お互い察し合うことを前提に、アッサリとしたお付き合いがいいでしょう。

何十年後かに次の時代が始まる頃、誰かがこのブログを読んで 答え合わせをしてくれれば幸甚です。よいお年を。合掌

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