本物の自信

最近はコロナウィルス感染予防の為、密を避けるようになりました。皆様も同じかもしれません。” 人は現状維持の気持ちでは衰退する ” と言います。独りで精進し続けることは難しいものがあります。やはり人と触れあい、影響を受けて成長することも必要です。はやくそのような環境に戻れることを祈ります。そんなことを思いながら、コロナ禍前に体験したことを思い出してみました。

今年1月に こうじょう雅之氏のライブアートにお邪魔しました。この方は、自らを武人画師と名のり、各方面でご活躍されています。どんなことが起こるんだろう・・・と期待を膨らませてましたら、こうじょう氏は 「武人とは覚悟を持つ者。真っ白なところから、それぞれの覚悟を持った武人が生まれる瞬間を味わってほしい」と話され、曲に合わせて20分ほどで武人の姿を描いて下さいました。それは 戦場の霧の中から接近してくる武人が、突如 キャンパスに現れるような迫力でした。

挨拶をされる こうじょう雅之氏

今回は 真田幸村を描いて下さいました

ライブアートの後、各テーブルを巡って下さり、私も色々な話をさせていただきました。彼は 結婚をして30才を過ぎた頃、安定していた運送業をやめ、幼い時から夢だった絵描きになったということでした。「一度きりの人生 楽しまなきゃ!」と豪快に笑うお姿を拝し、同年代の肝の据わり方に感服しました。まさしく武人のごとく「覚悟を持った者」でした。逆に 私は僧侶として、そのお役目を全うする責務があります。夢だからと言って、いきなり長髪金髪のロックンローラーになるわけにはいきません(笑)・・・自由があるというのは ある意味うらやましいですが、積み上げてきた立場を壊して、夢に走るというのは 相当な覚悟が必要です。夢が理想郷とは限らないからです。「自信はあったのか?」と尋ねると、「まったくなかった」とのことでした。

体重100キロを超える、心身ともに大きな方でした。
手には西願寺のパンフレットを持ってらっしゃいます。
当山の毘沙門天像の後絵に こうじよう師の武人画をお迎えできたら…とお話しました。想像するだけでワクワクします。

心屋 仁之助氏のお言葉です。
「自信は足し算じゃ生まれないんです。
むしろ、どんどん引いて、引いて・・・
資格もない、
人に誇れる長所もない、
誰かに自慢できる特技もない。
そんな自分も「認める」ということ。
弱い自分。
ダメな自分。
不器用でおもしろみのない自分。
そんな自分でも「それでいいんだ」と「許す」ということ。
自信は、ありのままの自分を
「それでも、私はすごいんだ」と思うところからしか生まれません。
がんばったから、自信がつくんじゃない。
「自分は、すごい」と思えるから、自信がつく。
どんな自分でも「すごい」と思ってみるんです。
いつまでたっても、
「自信探し」の旅を続ける人になってしまうのでは、楽しくないよね。」

(『がんばっても報われない本当の理由』 PHP研究所)

結局、「自分を認め、許し、すごいと思う境地」は、自らを過信したり、ナルシストになれというのではなく、「自分はこんなに守られているんだ!」という自信から来るんじゃないでしょうか。こうじょう氏も、ご縁に感謝!としきりに仰ってました。つまり、人間はどんな立場になっても、神仏や先祖、様々なご縁に守られてるという感性が大事なのだと思います。そこから踏み出す第一歩(覚悟)が、どの環境に変わっても 一本の筋が通った人生に繋がるのだと存じます。ありがとう、おかげさま、感謝、ご恩・・・こうじょう氏との出会いで、この仏教的な精神が ” 本物の自信 ” を得られる妙法なのだと 改めて学びました。合掌

追伸:現代は ” 変化 ” することが素晴らしいという意見が大多数ですが、逆に ” 守る ” ということも同様以上の大変さがあります。目まぐるしい環境の変化が起こる中、一つのことを続けていくということ・・・とっても地味で、評価どころか批判の対象になる風潮にありますが、これも肝(覚悟)が据わってなくてはできません。私は そういう保守的な方々も応援しています。変化を ” 逃げ ” の口実にならないように、また私欲に走りすぎないように冷静に見ていかなければならないと思います。どんな道でも ” 覚悟 ” と ” 次世代までの責任 ” ・・・この武人の言葉がキーワードです。ふわっとした民意に流されないように、一緒に勉強していきましょう!

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