今年のお盆も佳境に入りました。コロナウィルスの影響で、今期の盆参りはどうなるかと思いましたが、西願寺では「むしろお願いします!」と こぞってお参りされる方が多いです。これは一日にしてはならない心境です。歴代住職と各家による 長いながい間の信仰の受け継ぎが成すものです。皆様の熟成されたお心に、こちらがパワーを頂戴しました。
今日は「オキシトシン的幸せ」というお話をします。
脳の仕組みを知ると、幸せになるのは大きく二つの方法があることがわかります。
一つは、目標達成や夢の実現によって得られる幸せで、
これをドーパミン的幸せと呼びます。
もう一つは、オキシトシン的幸せで、親切やふれ合いによって得られる幸せです。
ドーパミン的幸せには、得られたときの喜びや快感が大きいという特性があります。
大好きな野球チームがサヨナラ逆転満塁ホームランで勝ったりしたら、
それこそ大喜びでしょう。
また、一生懸命に勉強してきて、第一志望の大学に合格したときなどの喜びも
これに当たります。しかし、このドーパミン的幸せは長続きしません。
そのうえ要望がエスカレートして、今日も勝ったのだから、明日は連勝だ、
と他者との競争のためにストレスにさらされるなど、マイナス面もあります。
一方、オキシトシン的幸せの方は、他者とのふれ合いや思いやりから生まれます。
電車でお年寄りに席を譲ると、譲った方にも譲られた方にも
オキシトシンが分泌されます。
親切にされた方ばかりでなく、親切にした側にもオキシトシンが出るのです。
そして、こちらは、ほんのりと長続きする喜びです。(『笑育のすすめ』 百瀬和夫)
今、世の中に蔓延してるのはドーパミン的な幸せだと存じます。自分の夢や欲望に向かって、やりたいようにできることは世間一般に言う幸せです。しかし、ドーパミン的な幸せを求めるがあまり、不寛容な社会が出来上がったのは事実です。
一方、仏教が求める幸せというのは、オキシトシン的な幸せであり、刺激や物質、合理的なものではありません。コロナウィルスが蔓延している時代、現代のお寺は もっとこのオキシトシン的な幸せのアプローチが必要なんじゃないでしょうか? 盆参りに伺うと、他者とのふれ合いに飢えてらっしゃる方が大勢おられます。人々の生活に直に接すると、人間は理想や自己保身だけでは生きていけないんだということを学びます。
諏訪中央病院名誉院長・鎌田實氏はこう仰います。
「オキシトシンとは、『人を幸せにすることでめぐりめぐって自分を幸せにするホルモン』であり、オキシトシンが増えると、人と人との絆は深まり、生きる力が強まる」
どうか、日本国民がこの不自由な現状から足元を見つめ直し、信仰心のある生活(オキシトシン的な幸せ)を喜べる民族であることを切に祈ります。合掌