新しい生活の ” 意識と様式 ”

コロナウィルスの脅威を感じるようになり半年以上経ちました。10年後にこのブログを読み返した際、どんなことを感じるんでしょうか・・・コロナ禍が過去のものになっていたとしても、その渦中で目一杯考えることは次なる世代への糧になることと存じます。今を生きている者にとって現在は 未知なる体験の連続です。確固たる答えが見えない中、色々な世代の方とお話をして感じたことを綴ってみます。近代日本人の価値観の変化と言うことについです。

日本敗戦後の経済成長の中で 豊かさを謳歌してきた時代の方々(60歳以上)とお話していると、日本の近代の発展は 「重い・長い・厚い・大きい」ということに重点を置かれていたように感じます。しかし、いつの頃からか「軽い・短い・薄い・小さい」へと様相と様式が変化していき、50歳以下の我々の世代は 「軽便さと安価さ」 に当たり前の感覚があります。まだこれが ” 物の価値 ” ならばいいのですが、もっと若い世代になると ” 心の価値 ” までもが 「軽便さと安価さ」 に疑問を持たず、古来の日本人の美徳である「もったいない」とか「苦労の後に楽の喜びがある」とか「生き甲斐」という 長い眼を持った人生訓 が影を潜めたように思われます。

幼い時に祖父母と見ていた、時代劇・水戸黄門の歌詞が懐かしく感じます。おおらかないい時代でした。

ところが今、私たちは、その「軽便さと安価さ」という意識と様相を変更しなければ 不安の増幅が終息しないかもしれない事態に陥っています。それは コロナウィルス感染症対策の「3密(密接・密集・密閉)」の回避です。
密接の回避 = 私と他者との間柄の物理的離れ
密集の回避 = 集まって顔と顔を突き合わすことの遠慮
密閉の回避 = マスクの着用や手指消毒による、心の窓である口鼻の隠蔽やコミュニケーションの否定

恐ろしいことに、現代人の「心の軽便さと安価さ」と「3密の回避」が合わさり、本来の人間らしさの最も大切な事柄が無くなってしまうのではないかという危惧があります。

この事態を迎えて今こそ、私たちは現代科学文明の欲の光に圧倒され、眩しさの中で何も考えずに「軽い・短い・薄い・小さい」の「軽便さと安価さ」の経済的価値の感覚(物質的価値)だけに走って、人間ならではの大切さ(心の価値)まで犯されようとしていることに気付くべきだ思います。時計の振り子が左右するように、考えが偏ってきた現代人に、大いなるものが幸せのヒントを与えてくれてるように思えてなりません。

しかしお盆以降、お寺の墓地や骨仏、ペット碑にお詣りする家族連れや若者が多く目につき始めました。皆様は「何を思い願って」手を合わせて祈っておられるのか・・・住職は参詣者の心の動きを尊く感じ取っています。皆様方と共に、” 私たちを生かし護ってくれる大いなるもの・阿弥陀様・先祖へ手を合わせ願い頼む心 ” が教え導くことを、新しい生活へのテコの力に応用して ” 意識と様式 ” とを少しでも変えれる努力をしたいものです。現代科学文明の光より尊い、仏の光に意識を向け、縁者が少しでも良き方向にいくようお祈り申し上げます。合掌

西願寺は、逆手にとった3密の幸せを大切にできるお寺を目指します。
密接 = 私と仏や先祖との間柄の親しさ
密集 = 寺詣りをして、仏や先祖と顔と顔を合わす安堵感
密閉 = 心の窓である口鼻がもたらす表情(お念仏の声)

~ ” なむあみだぶつ ” の一声一声は、あなたの心を整え・先祖を守り・子々孫々の繁栄を培う、心のギアチェンジです ~

葬儀・納骨等をお考えの方は、住職の思いや顔が見える当山へ 是非お気軽にご縁をお結び下さいませ。新しい生活の ” 意識と様式 ”をお手伝いできればと存じます。

コロナ禍の中で少しづつ、お寺の整備をしています。
本堂内に個別用の納骨壇を設置しました。
一棚にご遺骨、位牌等を複数安置ができます。
宗教宗派問わず・年会費不要
(15棚限定ですので お早めに)

境内に 本格的なペット供養塔が完成しました。
基本は合祀(中央下からの納骨)ですが、
懇ろな供養をご希望の方は個別棚も設けてます。
他に探してもない安置場です。
(現在は11棚限定ですので お早めに)

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