啐啄同時(そつたくどうじ)

先日、野生動物捕獲のために設置していた檻に、キツネが掛かりました。西願寺では数年前より文化財被害があり、市から捕獲の檻をお借りしていたのです。私がお参りに出ていた時に母が気付き、慌てて総代さまに連絡をいれた時の会話です。

母:「総代さん、とうとう かかったわ!」
総代:「あー、とうとうかかってしもたか・・・心配してたんや・・・」
母:「どうしましょう? 連休中で 保健所に連絡取れないし・・・」
総代:「とりえず、急いで住職を連れて行くしかないやろ!」
母:「えっ、住職は今、お参りに出てます」
総代:「そんな状態で 外に出させたらアカンやろ!」
母:「なんで?」
総代:「???・・・かかったって・・・住職がコロナにかかったんやろ?・・・」

嘘のような本当の話でした(笑)。結局、総代さまが軽トラで山奥に逃がして下さり、殺生しなくて済みました。それにしても「かかる」という言葉が、すぐにコロナウイルスを連想させるとは、、、えらい世の中になりました(汗)。

実は 翌日に親キツネも捕獲され、
総代さまが同じ場所に逃がして下さいました。

実は 翌日に親キツネも捕獲され、
総代さまが同じ場所に逃がして下さいました。
親子で仲睦まじく暮らしてくれてたら嬉しいです。

昨日、39県を対象に 緊急事態宣言を解除される方針の報道があり、世の中が少しづつ動いていきそうです。これからが大変ですが、ボチボチとやっていきましょう^^。自粛期間中は、私も環境が大きく変わりました。3月から多くのご依頼をいただいていた琵琶説教は全て中止。京都で勤めているお寺も拝観停止。各法要、イベント等も自粛の連続・・・収入も激減し(笑)、気持ちが落ち込むと思いきや・・・逆に 今までやりたかったことに挑戦でき、充実した日々を送っています。密教、太鼓、声明、四弦琵琶、姓名判断、護符等々・・・隠居をしてからやりたかったことが 今、実現しているので、毎日が楽しくてなりません。逆に言えば、忙しさにかまけて 自らを失っていた生活って何だったんだろう、、、とも感じる今日この頃です。ちょうど ” 忙しさ ” が惰性となり、挑戦する意欲に欠けていた頃ですので、私の人生にとって この時間(タイミング)は、仏の慈悲だと思っています。

曹洞宗僧侶・枡野俊明上人のお言葉です。
ひなが卵から孵る(かえる)時、外の出る準備が整うと、
ひなは内側から殻をつつきます。
そのかすかな音を捉えて親鳥は外側から殻をつつき割ってあげます。
ひなが内側から殻をつつく音が「啐(そつ)」
親鳥がつつく音が「啄(たく)」
「啐啄同時(そつたくどうじ)」。
両者のタイミングがピタリとあった時に、
物事は変化し、新しいものが生まれるのです。

(『怒らない禅の作法』 河出書房新社) 

テレビ報道は過熱さを帯び、ギスギスしてます。政治家や人の悪口ばかりで、見ているとウンザリします。我々は恵まれているはずなのに、、、批判批判の洗脳は怖いです。日本国民の人格が変わってしまうのでないかと危惧します。昔の日本人は、自然を畏れ、敬い、感謝をし、我が身を正したと聞きます。こういう時期だからこそ、いつも申している「ありがとう、おかげさま、感謝、ご恩」・・・こういった仏教精神による情報にまみえ、心豊かに生きていきたいものです。幸福とは、洗脳ではなく洗心です。文句もいいですが、” 今のおもい ” が未来を産みます。そういった意味で、今、私が勉強していることが、新たな時代の布教活動の幅になれればと思っています。

皆様も「啐啄同時(そつたくどうじ)」の時期ですよ。信仰を持っていれば、” おもい ” は必ず引き寄せることができます。新しく変わらざるを得ない時代に向けて、今、できることをお探しいただければ、仏が道を示し、殻を破って下さることと存じます。この時期は、仏からの教導の時期とお捉え下さいませ。合掌

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