比叡山に参拝

先日、比叡山にある無動寺に参拝して来ました。このお寺は 千日回峰行の阿闍梨さまが拠点とされてる所で、根本中堂より歩いて約30分の谷にあります。大雨の中でしたが、どうしても詣りたい衝動に駆られて行ってきました。到着は14時30分頃。通常、こんな時間に阿闍梨さまはいらっしゃいませんが、たまたまお勤めをなされてました。(約束をしてませんが、必ず会えると確信して参ったのが不思議です)

ノウマク サンマンダー バーザラダン センダン マーカロシャナ ソワターヤ ウンタラター カンマン・・・

霊験あらたかな不動明王の前で、しばらく阿闍梨さまと一緒に真言を唱えてましたら、「情けは人の為ならず・・・」と聞こえたように感じました。「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味です。よく「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」と解釈する人もありますが(笑)、親切にすることの大切さと説く諺です。

この言葉は私の心に響きました・・・コロナ禍の現在、 ” 寄り添っての親切 ” ができにくくなり、僧侶としての存在意義を自問自答していました。こんな時期なのに 何もできないジレンマがあります。私だけではなく、今、皆さんが 漠然と心にモヤモヤを持たれてるとしたら、根底はこの部分があるのかもしれません。経済的な苦しみはもちろんありますが、人間としてのふれあい(仕事、趣味、娯楽)が強制的にできなくなったり、また 人が喜んでくれることが できにくくなってる現状にストレスを感じ、苦しんでらっしゃる方が多いのかもしれません。今は 皆が指針を失っている状態です。

大阪大学の教授が検証し、アメリカの科学誌に発表された実験があります。
保育園で5歳~6歳の子供を対象に行われたのですが、「同じ歳の子供が、親切な行為をしているのを見た時、その親切を行った子供に対して優しく接する」というもので、親切な行為をした子供と、そうじゃない子供を比べると・・・

なんと、約12倍!
親切をした子供の方が、その後、親切にされる回数が高かったそうです。

この実験結果から想像できると思いますが、人に感謝されることをして、感謝をされて、今度は自分が有り難いことをしてもらった時にも きちんと感謝を伝えて、また喜んでもらえることをして・・・この流れを自然にできるようになると、人は見返りなんかどうでもよくなくなり、自然に幸せを感じているというのです。

今はコロナの影響で、そような自然な流れが立ち消えてしまいました。人間はいったん先を見失うと、動きたくなくなるものです。しかし、人に親切を施すことは 道徳や倫理ではなく、幸福になる方法論です。まして12倍の幸福が得られると思えば、その努力は楽しいものになるのではないでしょうか? 

一隅を照らす、これすなわち国宝なり(比叡山・最澄)

国民ひとり一人が 今 置かれている場所で、自分ができる親切をする気概を持てば、世の中が寛容な社会になっていきます。なんでも批判的、合理化されつつある現代に、いま一度 足元を見つめよ! 原点に返れ!と、不動明王から 今を生きる指針を教えていただきました。合掌

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