毎年、恒例となっている新社会人へ向けた伊集院 静氏のメッセージがあります。サントリーの新聞広告ですが、先日4月1日掲載されたのは以下のような内容でした。
先駆者になれ。
新社会人おめでとう。
今日、君はどんな職場で目の前を見ているだろうか。
どんな仕事であれ、そこが君のスタートラインだ。
新しい道が君の前にある。
しかしその道はまだ見えない。
新しい道とは何だろうか。
それはまだ誰も分け入ってない場所に
君の足で踏み込んで
初めてできるものだ。
そこはまだ闇のような
世界かもしれない。
光も音も感じないかもしれない。
しかし勇気と信念があれば、
必ず光はさしはじめる。
明るい音も聞こえてくる。
新しい道を踏み出せ。先駆者になれ。
そうして誰もまだ見たことのない、まぶしい世界を見せてやろう。
そのためには力が、汗が必要だ。
やわらかな発想と強靭な精神を持って、ともに汗を流そう。
新しい道をつくろう。後から続いて来る人たちの歌声を聞く日まで
私たちは、一人一人が先駆者になろう。
仕事は辛いぞ。苦しいぞ。でも自分だけのために
生きていることではないことがわかれば、必ず道はひらく。
少し疲れたら夕日を仰ぎ美味しい一杯をやろう。
新しい道を踏み出す君に乾杯。
伊集院 静
「自分だけのために生きていることではないことがわかれば、必ず道はひらく」。この言葉に感銘を受けました。働くことは「ハタの人を楽(ラク)にさせること」が原点です。この精神を仏教では「利他(りた)」といい、天台宗開祖・最澄(さいちょう)さまの「好事は他に与え、悪事は己に迎え、己を忘れ 他を利するは 慈悲の極みなり」という教えが由来となります。平たく言えば 自分のことは置いておいて、とにかく人のためになるようなことをしましょう!っていう意味になります。
” 利他 ”の譬えとして、祖父からこんな話を聞いたことがあります。「実は地獄と極楽は、見た目だけからしたらそれほど違いはない。どちらにも大きな釜に美味しそうな「うどん」が煮えている。そして、みんなが1メートルもある長い箸を持っている。地獄の住人は、われ先にと箸を突っ込んで食べようとするが、箸が長すぎて自分の口にうまく運べず、そのうちに、他人の箸の先のうどんの奪い合いを始めてしまう。結局、ちゃんと食べられなくて、うどんを目の前にしながら、誰もが飢えて痩せ衰えている。ところが極楽では、誰もが箸で掴んだうどんを、向かい側の人に先に食べさせてあげている。だから全員がうどんを食べられて、満ち足りているのだ」と。
同じ環境で仕事をする人でも、差が出てくるのはここからだと思います。皆さんの身近にもいらっしゃいませんか? 自分を守るためだけに生きている人・・・(笑)。本人は 世界で一番仕事をしてる感覚ですが、こういう方は、残念ながら ” 利他の心 ” ではありません。利他の反対は ” 我利我利(ガリガリ)” と言って、心が貧しい人を指します。
伊集院 静氏の「自分だけのために生きていることではないことがわかれば、必ず道はひらく」。この言葉は深いなぁ・・・と思い 拝見させていただきました。新社会人への最高のメッセージだと思います。合掌