おかえり

全国の豪雨における被災者の皆様、心よりお見舞い申し上げます。
近年は「50年に一度」といわれる大雨が毎年のように続き、災害映像を見るに付け 心が痛みます。コロナウィルス感染拡大によって、毎日のマスク・手洗いが習慣づいた頃に、特別警報が出るほどの豪雨が追い打ちをかけました。

なかでも見るに堪えないのが、街全体が災害に遭い、消滅してしまう様子です。先祖から護り続けてきた土地、住み慣れた場所を離れ、親しい人々と別れることは、今までの自分を全否定された気分になるのではないでしょうか。昨日まで「おかえり!」と迎えてくれた所がなくなる・・・これは悲しみの中の悲しみだと存じます。

熊本・球磨川水害

熊本・球磨川水害

僧侶の大來尚順住職のお言葉です。
「おかえり」という言葉とは、まさに「よく無事に帰ってきたね」「あなたを待っていたよ」「あなたには、そのままで帰ってこられるところがあるんだよ」というメッセージでもあるんです。

「帰ってこられるところ」の「ところ」とは、家族の待つ家であったり、地元であったり、「場所」の意味もありますが、私は「私はあなたをあなたのまま、そのまま優しく迎え入れて受け止めてくれる人や空間」を指すと思うのです。

私は、この英語では表すことのできない「おかえり」に含まれている気持ちこそ、日本人の思慮深さを表していると思うのです。では、その表現できない思慮深さとは一体何かというと、それは「すべては当たり前ではない」(縁起)と「何が起きるかわからない」(諸行無常)という真理です。

だからこそ、戻ってきた方を見ると、無意識にも当たり前ではない再会が嬉しくて、また有り難くて「おかえり」という言葉が自然と口から出るのです。
(『訳せない日本語』 アルファポリス文庫)

まさに、この世は「縁」と「諸行無常」で成り立ち、人は無力なんだと思い知らされます。すべては一期一会なんですね。これが真理とわかっていても、帰る所がなくなった方々に、励ましの言葉が見当たりません・・・。

こういった状況下、江戸時代の禅僧・良寛師は、災難にあった方の見舞いの手紙に、
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

と述べられました。

やはり、この世は「縁」と「諸行無常」。現実をありのままに受け入れるしかないのだと思います。これがこの世の悟りです。あとは時間をかけて人々に寄り添い、真理を説くことが僧侶の勤めだと心得ます。そして、来世に「おかえり!」と言って下さる、永遠の幸福しかない世界の行き方をお伝えする・・・自分は一人じゃないんだ。神仏や先祖に護られてる存在なんだと・・・不安定で何が起こるかわからない昨今に、一人でもそんな方を増やせればと存じます。次々と押し寄せてくる災害に、これが宗教の役割だと再認識しました。南無阿弥陀仏

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