楽しさと厳しさ

最近、子供にまつわる事件事故が多発しています。昔の子供について、渡辺京二著『逝きし世の面影』には、江戸末期に日本にやってきた外国人が日本の子供達の様子を見て「世界中で両親を敬愛し、老年者を敬愛すること、日本の子供にしくものはない」「日本の子供ほど行儀良く親切な子はいない」「日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子供に尽くす母親はいない」と評しておられます。

親学の第一人者である高橋史朗氏は、かつて日本の子供は、世界一幸せで、世界一礼儀正しかった。今は、世界一孤独で、世界一礼儀の悪い子が溢れている。それは親が変わってしまったからだ。親は子供の鏡。親が子供の手本でなくなった。これが子供が変わった理由であると述べておられます。

確かに子供は憧れる対象を欲しがります。他の動物も群れの中で生きるため、親の行動を観察するのと同じで、子供に良い手本を見せるか否によって、今後の生き方が大きく左右されるのかもしれません。

横浜高校野球部の渡辺元信監督が「子供の自主性は楽しさから生まれる、楽しさは厳しさから生まれる」と仰っていたのを記憶しています。自主性は、何も教育しないで、お前は自由にやれとということから生まれるのではない。野球部では千本ノックから始め、それを乗り越えて楽しさ、自主性が生まれるのだと。

現代はどちらかと言えば「どう生きるかは子供の意志に委ねる」という風潮がありますが、しかしそれは「子供が自分の意志で決定できる素養を身につけている」というのが前提なのかもしれません。子供達には良い手本を与えることを心がけ、そして何より私達大人自身が、子供達の良い手本となるように努めなければなりません。そのためには「楽しさ」と「厳しさ」が両輪となると教わりましたが、特に「愛のある厳しさ」を与えるためには、大人がしっかりとした器を持たなくてはいけません。それと同時に、教育は個人でするのは限界があり、家族やご近所、地域、郷土、国家が一丸となって成すべきだということも学びました。合掌

 

 

 

 

 

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