八十八夜

昨日、静岡の信徒様から新茶を頂戴しました。5月1日は八十八夜でしたので「一番茶」を頂いた事になります。この時期のお茶は、1年通じての肥料や養分を吸収している為、香りも高く味も1番美味しいとされるようです。牧田様、今年も有難う御座居ました。「八十八夜」とは、立春から八十八日目を指し、春から夏へと移る季節の境目のことで、特に農業にとっては、作物の生長において大切な目安の日となります。

学生時代、この時期になると恩師が必ず仰ってました。「八十八をまとめると米になります。これは、お米が実るまでに八十八回も手をかけるからこの字になったのです。この目に見えないお陰に感謝しましょう。では、いただきます!」と。しかし、現代は勝手が違うようです。ある説教師様からお聞きしたのですが、ある小学校で、「給食費を払っているのだから、子供にいただきますなんて言わせないでくれ!」と苦情をした親がいるとのこと。これが事実なら、その方の価値観が「お陰」ではなく、「お金」になってるということです。

「権利」を尊重することが重要であることは言うまでもありません。世界を見ても、権利を奪われ、抑圧されている人は少なくありません。しかし「権利」には必ず「義務」が伴います。ある人権学習の講師も、「現代は”自分のしたいことができるのが権利だ”という間違った考えが広がっており、製造者や商店、あるいは学校や病院などで苦情を言い、不当な要求をする人が増えている。このような権利の主張は良くない。これでは本当の人権学習が進まない。」と嘆いてらっしゃいました。(私も人権学習会の講師としてお招き受けることがありますが、本当に学習されてる方は、真の人権を教えて下さいます)

最近は東日本大震災の教訓から「絆」の重要性をよく耳にします。しかし、これも間違った権利のみを強調していけば、夫と妻、親と子など家族の関係性が希薄化し、本当の「絆」は生まれません。とりわけ、このような環境下で育った子供は、親への感謝の心は育ちにくく、自己の不遇や不満の対象を、親や社会に向けていく可能性があります。また、自己中心の利己主義が増えれば、自分が人の為に役立とうとする意識も欠落し、感謝や思いやりどころか、決まりや礼儀作法、法律までも無視する社会が出来てしまいます。

今の日本に必要なのは、間違った権利意識の拡大ではなく、宗教心や道徳心の涵養であると思います。目に見えないお陰の心を養う…小学生時代の恩師に教えてもらった「八十八夜の教え」を思いだし、自省を込めて綴りました。合掌

 

 

 

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