4月に入り、新入生の入学式の時節となりました。春ですね。「春」といえば、みなさんは、何を連想されますか?あるランキング調査では「春といえば、桜」と答える人が、約8割だったそうです。
しかし、古典で「春」といえば・・・やはり「春はあけぼの」です。この時代も桜は綺麗であったと思いますが、清少納言は花ではなく「時間軸(時の移ろい)」であらわしているのが印象的です。
一方、現代人の考えは「空間軸(今の状態)」です。現実に美しくなっている ” 今 ” の桜のみ見ている気がします。桜が好き!と言っても、開花宣言や花見に一喜一憂し、インスタ映え等の「空間」による心地良さを好み、そのプロセスは見向きもしません。平均寿命が延びた日本人ですが、現代人の方が刹那的だと感じます。
エッセイスト、木村耕一さんの対談を引用します。
──木村さん、春ですね。春といえば?
はい、「春は曙(あけぼの)。ようよう白くなり行(ゆく)、やまぎわすこしあかりて・・・」を思い出します。『枕草子』の、有名な書き出しですね。
──春といえば、「桜」を思い浮かべる人がほとんどのようですが・・・。なぜ、「あけぼの(夜明け前)」なのでしょうか?
そうですよね。春といえば、「桜」を連想する人が多いと思います。それなのに清少納言は、花ではなく、時間帯できたか!と驚きますよね。この意外性が、夜明け前の静けさを、映画のワンシーンのように脳裏に浮かばせ、強烈な印象を与えているのです。
──確かに「春はあけぼの」って、言葉の響きもよく、映像が浮かんでくるようですね。どんなメッセージが込められているのでしょうか?
はい。清少納言は、私たちに、「ほら、つらい冬が終わって、温かい太陽が昇ってきたよ。真っ暗な闇が去って、薄紫色に輝いてきたよ。だから、春は、あけぼのが好き」と語りかけているように思います。
彼女自身が、生きることのつらさ、苦しさを、強く感じていたからこそ、
「春の来ない冬はない」
「朝の来ない夜はない」
「だから、あきらめずに、前向きに生きよう」
というメッセージを、『枕草子』の冒頭に込めたのではないでしょうか。
──あれ? 『枕草子』は、千年前の、平安貴族の日常を、エッセー風に書いたものではないでしょうか。王朝生活は、そんなに暗いはずないですよね。
はい、実は私も、『枕草子』を読むまでは、「平安貴族は、気楽でいいなあ。いつもきれいな服を着て、すぐ恋をして和歌を詠み、四季の変化を眺めて『風流だな』と言っていれば評価されるんだから・・・。何の苦しみもない人たちだろうな」と思っていました。ところが、清少納言が、当時の天皇と后の周りで起きたことを書き残してくれたおかげで、平安貴族といっても、王朝生活といっても、人間関係の苦しみは、現代の私たちと、少しも変わらないことが分かります。
──え? どんなことがあったのでしょうか。
根も葉もないウワサ話に悩まされたり、濡れ衣を着せられたり、権力争いに巻き込まれたり・・・。でも、どんな理不尽な扱いを受けても、清少納言は、相手を非難したり、攻撃したり、報復したりしていません。知恵と洒落、ユーモアのセンスを生かして、乗り越えていきます。
──すごいですね。理不尽な出来事には、腹を立てたり、恨んだりして当然だと思っていましたが・・・。
怒りには怒りをぶつけ、恨みには恨みで報復していては、いつまでも、ドロドロとした戦いが続き、お互いに、得るものはありません。
──確かに、そのとおりです。
「正しいことは、時間の流れが証明してくれる。私は、私の誠意を尽くすだけ・・・」清少納言の、こういう心の持ち方が、千年たっても、多くの読者に支持されている理由ではないでしょうか。
──ありがとうございました。「『枕草子』は、キラキラしている」「悲しみ、苦しみを乗り越える力を与えてくれる」という読後感を持つ人が多いのもうなずけますね。
(「意訳で楽しむ古典シリーズ」)
現代人は、物事をもう少し「時間軸」を意識すると様々なものが見えてくるはずです。それを仏教が教えてるのではないでしょうか。こんな言葉があります。
あ 当たり前やと喜ばず
い いつもの事やと感謝せず
う 受けしお陰に気も付かず
え 縁を大事と喜ばず
お 恩も忘れて我が事ばかり
まさしく「時間軸」と「空間軸」が交わった時にしっくりくる言葉です。仏教を通じて何事もバランスのよい見方を大切にしたいと思う今日この頃です。合掌