確かな猶予(因果応報)

先日、後輩僧侶が うずくまっていました。何事かと尋ねたら、机の角で足の小指をぶつけたとのこと。彼は、あの 誰もが体験したことのある ” 激痛 ” を味わっていたのです。数瞬後、予測を下回ることのない あの痛み ! 。その激痛を待つ覚悟の時間を 格闘漫画 『バギ』 の作者・板垣恵介氏は、うまく譬えておられます。

ー  神が与え給うた 確かな猶予(ゆうよ)ー

言い得て妙です(笑)。これは老若男女国籍時代を問わず、” 因果応報 ” の最少単位ではないでしょうか。仏教でも、我々が作る行動(原因)は  猶予が終えた時、 約束どおり結果が訪れる と説きます。人生は この ” 猶予の繰り返し ” なのかもしれません。この当たり前の現実を なかなか理解できないのが人間ですが、角に小指をぶつけた時、みぞおちの強打、金的等の ” 数瞬後にくる激痛 ” で譬えると よくわかります。

暦は もうすぐ「 大暑 」となり、今が一年で最も暑い頃とされます。この時期、巷では必ずと言っていいほど後悔の言葉を耳にします。日頃の不摂生からくる夏バテ。また弛んだ体で水着をつける勇気がない等々、これは中期的な ” 因果応報 ” です。後悔先に立たず。すべての結果は、過去からの原因で繋がっているのです。

では、 猶予の幅 をさらに広げてみましょう。文豪・幸田露伴 氏は、因果応報の過程を「木の五衰」として伝えておられます。

「第一は、木が生長して繁茂してくると「懐の蒸れ(ふところのむれ)」というものが始まる。枝葉が茂ったおかげで風通しが悪くなり、蒸れはじめる。そうすると、酸素の代謝が悪くなるとか、害虫が付きやすくなるなどの問題が出始めるのだ。

「懐の蒸れ」の結果、第二には木が伸びなくなる。これを「末止まり(うらどまり)」という。つまり、ここで成長が止まるのである。

そうすると、第三には「裾上がり(すそあがり)」が始まる。本来の成長過程にある木ならば、根は深く広く広がらなければならない。だが、裾上がりとは、根が地表に出てしまい、早くから傷ついたり腐ったりする。

裾上がりした木は、やがて根っこからではなく木の上部から枯れ始める。これを第四の「末枯れ(すえがれ)」という。

最後の第五は、「虫食い」だ。末枯れまでいった木は害虫によって完全に枯れていく。最初から害虫にやられたように思われがちだが、その前に 第一、第二、第三、第四の段階があるのです」 (『洗心廣録』)

人生は、急に不幸な結果や 大きな問題が起こるのではなく、それまでに過程が存在しているのです。しかし どのような結果であれ、その 結果 が また 原因 として 縁 は繋がっていきます。我々にできることは、まず起きた現象を まず素直に受け入れること。そして、それをどう捉えるかで未来が変わってきます。これは時間の流れを 永続的に考えていく修行です。” 人の五衰 ” を防ぐのは、” 反省→感謝→報恩 ” の猶予の過ごし方が必要になります。

しかし、角にぶつけた小指の激痛だけは、いま想像するだけでも脂汗がでます・・・哀れな後輩には、とても ” 因果応報 ” とは言えませんでした(笑)。ただただ見舞いを申すばかりです。合掌

カテゴリー: 未分類   パーマリンク