こんにちは。いつまでも暑い日が続きます。昨年の今頃はコロナの影響で外に出れなかったので、おうち時間の楽しみとして 熱帯魚を飼いだしました。今月で丸1年になります。その泳ぐ様子を見て涼むという ささやかな楽しみを得ています。
飼育の動機は、先月話したように経験からくる憧れから来ています。昔、友人宅に行って あまりに綺麗な熱帯魚たちを ずっと眺めて、家でも癒されたいと思った記憶があります。
もう一つは、琵琶説教で山陰の方に参ることがあるのですが、そこで見かける「牛頭(ゴズ)」という魚を飼いたかったんです。もちろん牛頭天王にかけてるんですが(笑)、あの愛嬌のある顔に惹かれたんです。釣り人からいただくわけにいかず、食用以外売ってないので諦めましたが、、、ゴズの云われについては面白いブログがありましたので、以下に掲載させていただきます。
出雲地方や中海沿岸では沙魚(ハゼ)のことを「牛頭(ゴズ)」と呼びます。
ちなみに「牛頭(ゴズ)」とは、頭は牛、身体は人の形をした地獄の鬼のこと…。
何故そう呼ぶのか?…その由来は定かではありませんが、物心ついた時から「ハゼ」ではなく「ゴズ」と呼んでいましたね。
ただ、オロチ退治で知られる出雲の神、「スサノオノミコト(素戔嗚尊)」が「牛頭(ゴズ)天王」とも呼ばれており、その「スサノオノミコト」が開いたと言われる出雲の国で「ハゼ」を「牛頭(ゴズ)」と呼んでいるという事実…。
まさか「スサノオノミコト(=牛頭天王)」が退治した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が、斐伊川から宍道湖に流れて「ハゼ」になり、それで「ゴズ」と呼ばれるようになったとか … 色々な想像を掻き立てられますね。
まぁ、ただ単にその姿が牛の頭に似ているからその名が付いたのかもしれませんが…。
(ブログ「キス好きの投げキッス」)
この方の文章を拝見して、ひとつの興味を深めると 様々な知識に派生するのだと感じました。何でも勇気を持って一歩踏み出すことから 様々な出会いが始まるんだと思います。
今までの住職は、「忙しさ」というレールに何の疑問も持たず、ただひたすら走ってました。眼前の楽しいことに目もくれず、責務のみを考えていた感じです。しかしコロナ禍になり、一旦立ち止まると見えてくるものがありました。
・ただ無難に、非難されないように生きているのでは?
・〝 本当の私〝 ってなんだろう?
・どうしたら 人生の楽しみを享受できるだろうか?
このような悩みの方は意外に多いんじゃないでしょうか。その一因に、昨今は〝 土の時代〝 から〝 風の時代〝 へ移り変わり、選択肢が増え、価値観が大きく変化しているからだと推察します。(詳しくは令和4年1月のブログを参照下さい)
ただ、どのような時代であっても 人間の根幹は変わりません。人間が生まれる目的は「たくさんの感動をして、魂を震わせる」ためと桜井識子さんが仰ってますが、激しく同感します。
自分自身が感動をしたり、いい話・心あたたまる話を聞いて感涙したりすると、魂がその感動で震えます。魂が震える感覚は、心が洗われる感じ、浄化されるような感じです。スッキリ爽やかで、晴れやかな心になります。
嬉しいことがあって喜ぶ、感謝せずにはいられないことがあってそっと合掌する、人のあたたかみにふれて涙する、など、心がいい方へ動くことは、すべて感動です。この地上でしか体験出来ないこと、それを、心や肌で感じる…。
たくさんの感動を経験して、あちらの世界に持って逝く。そして、その感動の数々を応援して下さったご先祖さまに報告できたら、最高の喜び(極楽)になるのだと思います。これが〝 生まれてくる目的〝 と捉えれば、他人の目を気にしてウジウジすることなく、人生がさらに豊かになるのではないでしょうか。
熱帯魚の優雅で自由に泳ぐ姿を見て、残りの人生、感動に向けて目一杯 時間を使おうと思いました。そんなことを学んだコロナ禍の期間でした。合掌
追伸 住職の感性は10年早いと言って下さる方がありますが・・・熱帯魚を飼って思ったこと。それは寺院消滅が叫ばれるこの時代。それを避ける起死回生の策として、本堂の壁一面を熱帯魚の水槽で囲むと、その寺はどんな田舎でも繁盛して生き残ると思いました^ ^
感動することを真剣に熱中すれば、人々を動かす力になると思います。