地元の神々からの加護

いよいよ授戒会が近付いて参りました。今の心境を申しますと、一言・・・孤独だなぁ・・・というのが率直な感想です。これは責任者の宿命だと存じます。

西願寺の檀信徒は 協力的な方々ばかりで、寄り合いを申し出ても 嫌な顔一つせずに集まって下さいます。本当に恵まれています。役員方のお陰で 大きな準備は整いつつあります。あとは本当の意味で 授戒会を成功させるため、唯一儀式を知っている住職が独り、細かな仕上げをしていかねばなりません。これは役員と相談ができません。コロナ禍で一つずつ見直しが迫られる状況と、時代的な人々の価値観、また 受者85人に法灯を繋ぐ重圧に、常に孤独が付きまとっていました。

そんな中、地元の和尚さまと法談をする機会があり、心情を吐露しましたら、住職の儀式計画を 丁寧に一つ一つ見直して下さり、孤独の不安から ひとすじの光明が差し込んだ気がしました。「なんかあったら言ってや~」という人は多いですが、面倒臭いことに向き合って 一つずつ応対して下さる方は中々いません。その和尚さまから、住職の人生の課題と目標、そして今までの反省を明確にして下さった気がします。

その和尚より、もう一つ感銘を受けた話がありました。それは仏教であっても、地元の神様や大いなるものを敬うと、儀式の際、自然と人知を越えたお力を戴けると言うことです。教えの通り、東近江市にある御澤(おざわ)神社に参り、名水を戴いて参りました。儀式のすべてに関わる水に使わせていただいき、授戒会の成功を祈ります。これで開催期間の天気が必ず良くなるとご教授いただきました。

今回の法談で『平家物語』の「扇の的」という段を思い出しました。いわゆる 有名な那須与一が弓矢を放つ場面ですが、与一は成就を祈り、何を祈ったかというと・・・それは ” 地元の神々からの加護 ” でした。

・・・与一目をふさいで「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の温泉大明神、願くは あの扇の真ん中 射させ給へ」・・・

現代人のように、自分を信じろ!、ポジティブシンキング!、楽しくやろう♪ という その場しのぎの祈りではなく、二十歳の若者・那須与一は 地元の神々に自分の心身を委ねたのでした。すると北風が弱まり、見事、扇に矢を当てるのです。この史話には、もの凄い重圧やストレス、孤独を超える術を教えてくれてるように思います。つまり、日頃いかに心を鎮めて 感謝の生活しているかが問われてるのだと思います

現代人は家系を敬う、家を守るという意識が無くなってきました。税金にしても ふるさと納税等で損得に走る方が多くなりました。我々は育てていただいた恩を忘れてはなりません。地元の神々や親先祖に感謝する意識は 日頃の丁寧な積み重ねであって、その〝 恩の根元の温もり〝 を感じると 孤独を超越できるんだと学びました。

そこで授戒会では、今一度 原点に立ち返り、受者の皆様と先祖回向をし、お釈迦さまの教えを学び、共々に真なる幸福を学びたく思っています。合掌

地元の氏神、青根天満宮
拝殿横の大杉は住職が小さい頃から見守ってくれてます。

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