根なき花

今月はお盆の月で、多くのお宅にお参りさせていただきました。私の心構えは、自分自身が先祖になったつもりで伺うようにしています。お家の雰囲気は様々です。ほとんどのお宅は居心地よくして下さいますが、正直「ここには帰りたくないなぁ・・・」と思う家があるのも事実です。お迎えをするお経を唱える身でも、ご先祖さまの心を察してしまいます(汗)。

ある英霊を祀ったお宅にお参りした時のこと。玄関先で ご主人が車を洗っておられてました。しかし、私に目もくれず洗車を続けられるのです。結局、たった5分のお参りにも手を合わすことなく、数台の高級車に向き合っておられました。おそらく裕福なお宅でしょうが、あまりの心の貧しさに哀れになってきました。この家を守るため 戦場に出られたご先祖様はどんな思いで、この子孫を見ておられるのでしょうか。

法然上人の師匠である善導大師は、人生について こうお説き下さいます。               「人は生きている時に 精進しなければ、たとえてみるならば、植木に根がないようなものだ。花をとって日中に置いても、根がなくて養分を吸うことができなければ、どれだけの間、あざやかに咲いていることがでいるだろうか。人の命ももそのようなものだ。無常の、ほんのつかの間だ。もろもろの仏教徒に勧める。精進して、どうか速やかに真実に至りたまえ。そして真実の仏法に根を張って、本当に美しく咲き続ける命を生きなさい」(「日中無常偈」)

先祖を思うことができない人は、” 根なき花 ” と同じです。いくら 有意義な人生(花)を咲かせてるように見えても、その  命の根源 (根) に感謝できないのならば、真実の幸福は望めません。見せかけの繁栄は すぐに枯れ果てることでしょう。仏法に根を張ることができた私は、本当に幸せ者だと この時期 しみじみ感じます。合掌

 

咲いた花見て 喜ぶならば 咲かせた根元の 恩を知れ

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