先日、ビーたんの満中陰(49日)を迎え、法要と納骨をしました。
住職は 境内にペットの納骨所を建立しましたので、ペットを亡くされたご遺族とお話する機会があります。しかし、皆様のロス状態は 見ていて辛いものがあります。
今回は 我が家のペットでした。この49日間、どんな感覚になるのかを素直に味わってみました。皆さまがおっしゃってることで 強く感じたのは、、、
言葉を発しない存在なので、「思い出の美化」をしてしまう、、、これが一番でした。
ペットとの思い出は尽きません。彼(彼女)らは 言葉を発しないので、我々は表情のみを観て、一心に愛情(自らのすべて)を注ぎます。その為、お別れが来ても「もっと出来たんじゃないか?!」と思ってしまい、後悔と寂しさのループが続くんだと思いました。
人間同士で、お互いの心情を語り合ったり、喧嘩をしたりして 人となりを知ると、どこかで心の整理が付くものですが。
その上で率直に思ったことは、いずれ前に向かないと、何もかも止まった状態になるということです。つまり、キツイ言い方ですが、すべては自らの「思い出の美化」ですから、心が晴れ渡る要素がないということです。「喪に服す心=供養の心」が混同すると、いつまでも悲しんでなくてはなりません。
その体験を踏まえ、私自身、前に進む解決法を探しました。出た答えは、シンプルにお墓に納骨することでした。実際、お墓を持ことは 本当に安穏な精神状態になるのだと実感しています。
墓の効能は、
①「思い出の美化」を翻し、常に感謝できる心の状態を保てること。
②「存在の消失」を翻し、墓の存在が 彼(彼女)らの生きた証となること。
③供養の際、客観的に見てくれる存在(僧侶)と話すことで、安心ができ 前向きな心になれる。しかも、当家の先祖回向までしてくれる。
家に何十年と お骨を安置することは、遺族も霊(ペット)も前進がありません。浮遊霊のままで居させるのは人間のエゴになりかねません。どこかで前に進むべきだと存じます。そう考えると、納骨は いい距離感の出発だと存じます。また別の形で必ず逢えますから。
※しかし、納得するまでは近くに安置してあげてくださいね。住職もその意見は賛同します。あとは時期の問題だけです。
今年は辰年で、「思いが具現化」する年だと申しましたが、自ら建立したペット供養塔で愛猫を弔える幸せをしみじみと感じています。亡くなった霊と よき思い出の中に生きる・・・これは幸せななことですね。
ビーたんのお陰で、ペット供養相談に来られた皆様の気持ちに さらに寄り添えそうです。合掌