小満

明日の暦は「小満(しょうまん)」です。小満とは秋に蒔いた麦などの穂がつく頃で、ほっと一安心(少し満足)すると言う意味です。 田畑を耕して生活の糧を稼いでいた時代には、農作物の収穫の有無は人の生死にかかわる問題でした。そのため、麦などに穂がつくと「今のところは順調だ、よかった」と満足したことから「小満」と言う名前が付いたようです。日本は、メリハリのある春夏秋冬の四季があり、また、空を見上げれば月が満ち欠けしています。そのリズムを大切にして私達の先祖は、生活を送ってきたんだと思います。そんな昔の方々から見れば、現代は毎日がお祭りのように見えるかもしれません。

「ハレ」と「ケ」という言葉があります。ハレ(晴れ)は、非日常をさし、ハレの日とは特別な行事のこと。ケ(褻)は日常を表す言葉で、ケの日とは普通の日々のことをいいます。『おうち歳時記』には、ハレとケについて次のように紹介されていました。「日々の暮らしの中には、入学式や結婚式、お正月やクリスマスなどの行事があります。そんな(ハレの)行事の日は楽しくて、毎日続くといいなと誰もが思ったことでしょう。でも、毎日そんな特別な日が続くとしたら大変です。反対に何もない日常(ケの日)が淡々と続いても、どうやら時々あるハレの日は、単調なケの日のメリハリになっているようです。ハレとケが適当な周期で回っているからこそ生活にリズムが生まれ、エネルギーとなります。昔は、ハレの日に晴れ着を着て、神様に感謝や祈願をし、赤飯や餅などのご馳走を食べました。ハレの日は明日への活力となっていたのです。しかし、今の世の中はそんな伝統的は行事が忘れられつつあります。だからといってハレの日がなくなったわけではなく、派手な商業主義にのったハレのイベントはたくさんあります。街へ行けば、毎日がお祭りのようで、刺激過多の状態。着ている服は普段着か晴れ着か区別がつかなくなり、レストランにはいつもご馳走が溢れています。毎日がハレの日(?)と思うほど、ハレとケが混沌としている状態ではないでしょうか。」

私達は派手な商業主義にのることなく、あえて自分の生活リズムにあったハレとケを考える時期に来ているのかもしれません。人間の欲望にはきりがなく、これまで「ハレ」(刺激)だったものが、日常生活の「ケ」(退屈)の中に埋没してしまうこともあり得ます。佛教は「少欲知足(しょうよくちそく)」【欲を少なくして足ることを知る】を説きます。あえて「ケ」の状態を尊びましょう。一日の無事をみ佛さまやご先祖さまに報告できる毎日。これこそが幸せの第一歩であります。日々の小満(少しの満足)に勝るものなしです。合掌

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