6月10日は「時の記念日」です。この由来は、人々に時間を尊重する意識を持ってもらおうと、1920年に生活改善同盟会がこの日を「時の記念日」に制定したのが始まりだといいます。
『日本書紀』よると、天智天皇が10年4月25日(太陽暦671年6月10日)に近江の大津宮(滋賀県大津市)に水時計を設置されたとあります。当時は2人交代で水の量をチェックし、鐘や太鼓で時報を知らせていたそうです。現在は一日を24等分して数字でいいますが、昔は12等分して区切った時刻を、十二支に当てはめられていました。丁度、太鼓の音が8つ鳴らされる時間(午後1時から3時)になると、お腹がすいてきて軽食を取ることが多く、それを「御八つ(おやつ)」と呼ぶようになりました(笑)。昔の方は、規則正しく、時間を大切にしながら生きてらっしゃったことが伺えます。
お釈迦さまも『無量寿経(むりょうじゅきょう)』に「臨終する時に、後悔と恐れが、代わる代わるおこってくる」と、時間の大切さを説いておられます。
私はよく、人生を「飛行機」に例えます。想像して頂きたいのですが…おぎゃっと生まれた時が、空港を飛び立った時。機内では少しでも快適に過ごそうと、人々は映画や音楽を楽しみ、また美味しい食事や景色の良い席を取ろうと躍起になります。しかし空の旅は、いつも平穏無事ではありません。乱気流や暴風雨、機体のトラブル、さまざまな不測の事態も待ち受けています。会社の倒産やリストラ、不慮の事故や病気、愛する人の離別や死別、嫁や姑の交戦など。それらと悪戦苦闘しながら、それでも私たちは少しでも長く、快適な人生飛行を楽しみたいと願っています。
しかし、飛行機の燃料は、無尽蔵ではありません。やがて尽きる時が来ます。私がいつも申すのは「皆様はその時、果たして安全な着陸地は確保されているでしょうか?」ということです。まさにお釈迦さまのお言葉の真意はここにあると思うのです。私という飛行機は、快適な飛行を楽しむといった「どう飛ぶか(生き方)」も大事ですが、もっと大切なのは「着陸地(目的)」をハッキリさせることにあると思います。
飛行機に墜落以上の大事なことがないように、人生に死ぬ以上の大事なことはありません。人生の終幕に、真っ暗な後生(次の世)に驚いても後の祭りです。仏教では、死後の世界の大問題を解決してこそ、人生の究極の目的だと教えられています。それらは燃料がなくなるまでに、解決したい問題であり、明るい来世を考えながら生きていくこそが、本当の意味での時間を尊重する生き方だと思います。仏教は、その方法(阿弥陀仏の救い)が説かれているんです!
西願寺では、骨佛の生前予約を受け付けております。「人生の目的地」をハッキリさせて、共々に輝かしい時間を過ごしませんか? 南無阿弥陀仏 合掌