立秋

明日は「立秋(りっしゅう)」です。文字通り秋に入ることですが、実際は夏一番の熱い時季です。今日から「残暑見舞い」になりますが、これほど暦と季節感のずれを感じる日はありません。

自坊の西願寺は、立秋前の土日が墓回向の日と決まっており、今年も沢山のお詣りがありました。終日炎天下におりますので「おっさん、暑くないのか?」とよく聞かれますが、私は必ず「あきらめていますから!」とお答えします。半分ウケ狙いですが、実は「あきらめる」は仏教用語からきています。今では「仕方がない状態を断念する」という否定的な意味で使われますが、本来は、仏教の「(物事の真理を)明らかに見る」が次第に変化して「あきらめる」になりました。ですから、とても意欲的な言葉で、私は好んで使っています。

もちろん僧侶といえど、スーパーマンではありません。墓参りは正直しんどいですし、できるだけ体調を整えて何とか出来ることです。お金儲けだと心ないことを言われる方もありますが、バイトの対価として考えるなら絶対にやりません(笑)。それは、住職としての使命とプライド。そして、この墓参りが檀信徒家一族の幸せとなって返ってくる行為だと確信する(明らかに見る)からこそ、心からさせていただけるのです。

人間は嫌なことに直面すると、逃げることを考え、踠(もが)こうとします。しかし、踠けばもがくほど、苦しみという海底に吸い込まれていきます。踠けば体はどんどん沈んでいく…しかし、物事を真理に照らし合わし「明らかに見る」ことができれば、いらぬ力が抜けてきます。力を抜いて、水に身をまかせれば、体はゆっくりと浮び上がっていくのです。つまり人生は、大きな海の中にいるようなものですから、大いなるもの(仏)に身をまかす気持ちが芽生えれば、その信仰心が浮き輪となり、必ず救われるのであります。ここから我身、自心というもの離れた「あきらめの境地」が出てくるのです。この墓参りを通じて、仏様やご先祖様に護られてるという思いの方が1人でも増えていただければ、炎暑での回向も、私は喜んで「あきらめる」ことが出来ます(笑)。西願寺の檀信徒様、今年もよくお参り下さいました。合掌

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