「秋分(しゅうぶん)」は、秋の「彼岸(ひがん)」の中日になります。「彼岸」は本来、阿弥陀仏の極楽浄土を指し、「あちらの岸」という意味です。一方、私達の住む苦しみ悩みの世界を「此岸(しがん)」といい、「こちらの岸」に例えられます。つまり、春・秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈む日であり、沈む夕日に「西方極楽浄土」を念じたのが始まりといわれます。仏教は、我々の世界を「海に浮かぶ岸」に譬え、救いの方角(彼岸)を教えてくれます。
何年か前に『オープン・ウォーター』という、実話を元にした映画がありました。カリブ海でダイビングしていた夫婦が、ツアースタッフのミスで海に取り残されてしまう話です。サメや小魚に襲われ、脱水症状や体温の低下、波や強い日差し、風雨や夜の闇など、彼らが味わう恐怖、極度の緊張が克明に描かれています。水平線しか見えない海の真ん中で、あてどなく漂い、行く先が見えない不安や絶望…こんな時、救いの方角がわかれば、どんなに有難いことかと思いました。
まさしく人生も同じではないでしょうか。何のために勉強し、働き、苦しくとも生きねばならないか分からないまま、次から次とやってくる苦しみの波に、子供から大人まで翻弄されています。いくら立派な生活基盤を調え、「どう生きる」の手段に熟知していても、肝心の生きる方角、目的が示されないままの一生では悲劇です。しかし、救いの方角がハッキリして、そこに向かって力強く泳いでいく人生は、知らなかった時とは比較にならない素晴らしいものになります。秋分が「彼岸」(救いの方角)をお考え頂ける時節になれば幸甚です。南無阿弥陀仏 合掌