出世間(しゅっせけん)ばなし

今月10日、東京のお寺で琵琶説教を勤めました。もう11回目のご縁ですが、年々聴衆が増え、今年も本堂いっぱいの200人の参拝者が来て下さいました。このお寺の聴衆は真剣です。メモを取られる方も多く、知的なメリハリのある都会の雰囲気が大好きです。将来は首都に庵を開き、信徒に布教活動をするのが 私の夢です。

法話終了後は、副住職に接待していただきました。以前も申しましたが、彼は修行道場の同期で 誕生日が同じです。まさに双子のような存在で、年に1度、語らうことを楽しみにしています。私が食事の美味しさに感動していると、彼はこんな事をつぶやきました。「今の喜びは、きっと過去世の子孫が僕たちに回向してくれてるだな」・・・ポカンとする私に彼は続けました。

「僕たちは今年で40歳になったよね。ということは41年前に過去世で亡くなっているんだ。つまり過去世から現世へは 四十九日で生まれ変わり、十月十日の間 母の胎内に入り 今の生がある。これで丁度1年だろ?だから41年前に過去世で死んでるのさ。そこで僕は思う。日頃 何げに嬉しい事があるのは、きっと過去世の子孫が 僕たちの冥福を祈ってくれてるからさ」

さらに「冥福の ” 冥 ” の字は、暗いという意味だけど、真っ暗闇ではなく、ほのかな光のある暗さを意味する。現世に絶望する人が多いけど、今こそ僕たち僧侶は、冥福の大切さを伝えなげなければならない。この教えを次世代につなげれば、必ず僕たちも来世で回向してもらえる存在となり、その時 また喜びを味わえる。そして そのことを知って感謝すれば、子孫にも幸福がおとずれるんだよ。僕たち僧侶は、” 人間という冥界 ” の中に ” 光 ” を感じることができる方向を示さなくてはならないんだよな」・・・もちろん、今の我々自身が先祖の幸福を祈り、回向するのも同じ理論です。生死を超えた過去・現在・未来はすべてつながっており、行い、言葉、行動は自分に返ってくるのです。このような輪廻(命のつながり)の思想を取り戻し、仏事を行うことによって幸福しかない世界が見えてきます。そうすれば ” 徳を積む ” と言うことも おのずと理解が出来るようになります。現代の幸福論は、いずれも ” 自分の幸せを第一 ” に考えるから歪みがでてくるのです。

彼は最後こう締めくくりました。「今の我々がすべきことは、南無阿弥陀仏を信じ、毎日を機嫌良く生きることじゃないかな。これで先祖も子孫も救われるんだよ。そんな中、一番してはいけないことは嫉妬、恨み、そねみ 等の暗い心。その念が過去・現在・未来のすべての縁者を不幸にする。そう考えると、来世の幸福を確信し、この世を ” 生きてるだけで丸儲け ” の精神で楽しめばいいんだよね」・・・彼との会話には、細かい悩み相談なんていりません。同じ方向を向いて、また 同じ時間生きている存在が居てくれることに本当に感謝でした。また この感謝の心が、三世のすべての縁者を喜ばせるものだと思うと、仏教とは喜びしかない世界なんだと思います。

今、いろんな事に悩んでらっしゃる方が多いと思いますが、結論を言うと、” 来世の往生を喜び、自分の機嫌を取ること ” ・・・これだけなんです。様々な陰口・悪口・嫉妬・・・言わせておきましょう(笑)。私も遠慮することなく、人という冥界を楽しもうと思いました。死後の光は約束されてるんですから!。いつ死んでも、どう転んだって幸福しかありません!。彼との「世間ばなし」ならぬ、「出世間(しゅっせけん)ばなし」で今年も色々 学ばせていただきました。合掌

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