夏越の祓

一年の半分が過ぎました。12月の大晦日には一年の穢れを祓う行事が盛んですが、半年の穢れを祓う行事もあります。種々ありますが、有名なのは「夏越の祓(なごし の はらえ)」です。これは 神社にある「茅(ち)の輪」をくぐり、暑い夏を無事に越せるよう祈る儀式で、お盆を前に心身を清める意味もあるようです。聞くところによると、この時期は 人だけではなく牛や馬も海水に浸って身を清めるようです。生物にとって大事な節目なのかもしれません。皆、幸福を求めて生きているんですね。

くぐる時は脱帽しましょう

くぐる時は脱帽しましょう

安岡正篤 氏のお言葉です。「さいわい」にも幸と福と二字ある。学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたに過ぎない幸いを幸という。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなく上手い巡り合わせにぶつかったとかいう、これは幸。そうではなくて原因を自己の中に有する、すなわち、自分の苦心、自分の努力によって勝ち得たる幸いを「福」という。福の示偏は神さまのことだ。旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。農家でいうならば俵を積み上げるという文字。神の前に蓄積されたるものが「福」である。

昔の日本人は、幸福というものをよくわかっていたのだと存じます。環境や身辺のさいわいは「幸」、心の充実やさいわいは「福」。この二つが合わさって「幸福」なんですね。現代人は「幸」ばかり求めているように思えてなりません。季節と共に生かされてることに感謝し、心身の幸せをバランスよく積むこそが ” 粋 ” だと感じる今日この頃です。

京都では「夏越の祓」に水無月(みなづき)を食します。かつて幕府や宮中では氷を口にして暑気払いををする行事がありましたが、庶民は氷を手に入れることはできないので、氷に見立てたお菓子を食べるようになりました。以来、氷片をを型取った三角形の「外郎(ういろう)」に、マメになるようにと小豆を散らした「水無月」を食べることが習慣になりました。小豆は悪魔払いの意味もあるようです。今年も信者様からの多くのお心遣い(水無月)を頂き、身と心とお腹が飽満(みちたり)ました!二夏は越せそうです(笑)。考えますと、現代は一般家庭にもエアコン等がありますが、昔は一夏を越えることに真剣になっておられたんでしょうね。当たり前のことに感謝したいものです。合掌

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