小雪

「小雪(しょうせつ)」になりました。これから雪がちらつくようになり、北風によって木の葉が散るようになります。現在、「二十四節気(にじゅうしせっき)」ごとにブログを更新してますが、暦を意識すると本当に季節を感じます。

この時期になると、子供の頃に母が読んでくれた絵本を思い出します。雪が降り始めると、決まって『白雪姫』を読んでくれました。あの頃も季節感がありましたね(笑)。久しぶりに読み返えすと、昔とは違った感想があり驚きました。私の記憶では、白雪姫は「魔女に騙された可哀そうな女性」という印象でしたが、実は彼女は「騙されたとも、毒リンゴを食べさせられたことも知らず、幸せになった女性」だと気付いたんです。なぜなら白雪姫は、リンゴを口にした途端、深い眠りに落ちたので、魔法使いの正体が意地悪な継母であることも、魔法のリンゴが毒リンゴだったことも知るよしもないからです。ただ白雪姫は、魔法使いのお婆さんに親切をして、夢を叶えただけでした。つまりこの物語は、「夢を信じ、素直な優しい心を持ち続ければ、毒リンゴも幸せのリンゴになる」ということを教えてくれます。言い換えれば「物事は受け取り方次第で、幸にも不幸にもなる」という教訓を訴えてるのだと思います。

もし白雪姫が現代に生まれていたら…おそらく、見知らぬ老女を家に招いて親切にすることはないでしょうし、初対面の方にリンゴをもらっても怖くて食べれないと思います。現代は「まず疑うことが正しい」という風潮があるからです。もちろん否定的に見ることで、被害を最小限に食い止る「想定内での幸せ」はつかめると思いますが、時には世の中を肯定的に見ることで、「感動的な幸せ」が訪れるのではないでしょうか。

信仰も同じです。はじめから仏を疑う人は、もとから加護を放棄する人です。縁すら繋がりません。白雪姫にとって「幸せのリンゴ」となり得たのは、彼女の心映えによるように、やはり、心の現れがその人の世界を作っていくものだと思います。それを正しく導くのが宗教の役割です。現代では共感を得にくい話というのは重々承知ですが…このような時代だからこそ、今、信仰の大切さが問われてると思います。大人になってから『白雪姫』を読み返し、こんなことを学びました。合掌

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