煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)

本日2月15日は、お釈迦さまが亡くなられた「涅槃(ねはん)」の日です。語源は「ニルバーナ」で「吹き消す」の意味です。つまり ” 煩悩を吹き消した状態 = 完全な悟り ” を表します。では なぜ「涅槃」は ” 死 ” を意味するのでしょうか。それは 人間界でお悟りになったお釈迦さまでしたが、諸行無常のこの世には 永遠に留まることはできません。そこで目的を果たされた後、本来おいでになるべき次元へ還られた。つまり、生身の身体を脱ぎ捨てられたので、煩悩が完全に無くなった・・・このことから「涅槃 = 死 = 完全な悟り」 の方程式ができています。

しかし、一般人が涅槃とはいきません。死ねば皆、仏になるというのは間違っています。凡夫には 「煩悩即菩提」(煩悩=悟りの種)という言葉があるように、煩悩の火を吹き消すことは 極めて難しいです。つまり、いかに煩悩と うまく付き合うかがポイントとなります。そこでよくあげられるのが 蓮の譬え です。仏教の花である蓮は、泥の中に根を下ろして 水面に綺麗な花を咲かせますが、 汚い泥は人間の煩悩を表します。蓮の花は泥が深ければ深いほど、大きく綺麗な花を咲かせます。つまり、自分は業が深い 煩悩だらけだと悲観する事はなく、この苦しみがあるからこそ、大きく綺麗な 魂の花を咲かせることができると考えるのです。これが念仏思想の根本です。煩悩を否定せず、幸福のためには その身そのまま…自分の時間を持ちたいものです。実際、お釈迦さまも法然上人も お一人の時間を大切になされていました。

泥水を養分に 美しい華を咲かせる蓮

泥水を養分に 美しい華を咲かせる蓮

精神科医・斎藤 茂太氏のお言葉です。
1日24時間を「人のため」だけに使わない。ストレス解消のためにも、ひとりになれる時間を大切にしてもらいたい。そのために趣味を持つのもよい。散歩の習慣をつくるのもいいだろう。「自分のため」に使う時間を持ってもらいたいのだ。24時間、毎日毎日「人のため」では、あげくには自分という人間が壊れてしまう。競走馬のサラブレッドは、夏場は北海道の広い牧場に解放され、好き勝手な時間を過ごす。そういう休養の時間がなければ、人のために走ることはできないのだ。(『「ちょっとした言い方」が上手い人下手な人』新講社)

これは怠惰のススメではありません。この世は 煩悩によって成り立っています。いわゆる、目的を持った「煩悩即菩提」が大切ではないでしょうか。世のため人のためにも、自分の時間をしっかりと持ちましょう。自分が幸福でないのに、人に幸せを伝えることは出来ないと思います。” 欲 ” を活用するのです。その目的を仏教が教えてくれるのです。涅槃の日に煩悩について考えてみました。合掌

猫がいる西願寺の涅槃図

猫がいる西願寺の涅槃図

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