先代住職の遷化

先日、2月28日1時1分。父であり 西願寺第三十世の金森邦雄が遷化いたしました。思えば、ちょうど一年前の3月6日に入院し、丸一年の闘病生活でした。生前のご厚助に 心より御礼申し上げます。先代の足跡をお伝えするため、私のお通夜の挨拶を掲載させていただきます。

本日は お足元の悪い中、先代・金森邦雄の為にご参列いただきまして、誠にありがとうございました。ご参勤いただいた各御法中・御寺院様や檀信徒の皆様、好みの方々の心のこもった お念仏の声に、父は大変喜んでいることと存じます。

先代は 雪化粧の本堂を眺めるのが大好きでした。父の思いが この季節外れの雪に表されていると思います。

そんな父は 昭和22年1月2日、この西願寺に生を受け、地元の岡山小学校、八幡中学校、そして彦根東高校、京都の佛教大学を経て僧侶となりました。いったんは滋賀県庁に奉職をしましたが 僧侶の身・・・地元に居いる方が檀信徒のお役に立てると判断し、近江八幡市役所にお世話になりつつ 西願寺を護ってまいりました。

ただ 先々代の二十九世・定雄の代が長かったため、住職就任は平成14年(55歳)の時でありました。そして 私に住職を譲ったのが、平成21年(62歳)の時でありましたので、三十世としての在任期間は わずか7年でした。しかし その後も、私が自坊に居ない生活をしているため、実質は父が蒲生第三組一部の部長、あるいは西願寺の法務を一手に引き受けてくれたのが現実であります。

隠居後も含めても 約14年という短い期間でありましたが、先代の功績として、本堂が登録有形文化財(平成17年)に指定されるよう尽力し、また 国の重要文化的景観 第一号の指定(平成18年)、本堂屋根ヨシの葺き替え(平成20年)、晋山式で住職の交代、46年ぶりの五重相伝の開筵への準備(平成21年)、また隠居後も 御本尊が県の有形文化財に指定(平成27年)される仏縁に巡り合いました。先代は 自らが輝こうとするのではなく、陰ながら物事をよき方向に導く傾向にあったかと存じます。

また 晩年は弟子をとり、自らの代わりに西願寺や私を支える僧侶を育てました。まさしく ” 陰ながら寺を支える存在 ” であったことを感謝しております。

今から ゆっくりして欲しい と思っていた矢先 … 約一年前の3月6日に肺炎を患い 入院をしました。その後 入退院を繰り返し、母・洋子と二人三脚で復帰を目指してましたが、肺気腫を併発し、最期は心不全で眠るように お浄土へ旅立ちました。享年70歳でありました。

この1年間は病に苦しんでおりましたが、今の先代の安らかな顔を拝してますと、「お父ちゃん よかったなぁ! 阿弥陀さまやおじいちゃん、おばあちゃん、先に往生された西願寺の仲間が ちゃんと迎えに来てはるで!」と思わず声をかけてしまいました。さらに本日は 大好きな雪化粧の本堂の中で、こんなに多くの皆様にお念仏をお唱えしていただき、父は幸せ者だと心より思います。皆様、本当にお世話になりました。

残された遺族は まだまだ未熟で、お叱りを受けることも多いと思いますが、父の代同様 相変わりませぬよう、今後ともご指導のほど宜しくお願い申し上げます。皆さま、本日は誠にありがとうございました。
西願寺第三十世・願蓮社成譽上人法阿慈光邦雄和尚 荘厳浄土  同唱十念

お寺で僧侶が亡くなった時は、門に ” 山主往生 ” の駒札を立てる風習があります。

お寺で僧侶が亡くなった時は、門に ” 山主往生 ” の駒札を立てる風習があります


※本日は本来、東日本大震災追悼法要をお勤めする日でしたが、葬儀の後始末のため、やむなく中止となりました。今朝、寺内の者で震災物故者に念仏回向をさせて頂きました。合掌

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