美しさで判断する感性

本年 最後のブログとなりました。今年は色々な事が起き、人生の分岐点だった気がします。西願寺では 先代が往生し、舵取りが求められる一年でした。私的な問題なら自分で決められますが、公的な立場になれば そうはいきません。様々な人に助言を求めると、十人十色の回答が出てきます。大きな問題になればなるほど、袋小路に迷い込むことが多々ありました。

そんな時、指針にしたのは、 ” 正しさ ” ではなく ” 美しさ ” でした。かっこよくいえば、 ” 美しさで判断する感性 ” を持って進むことにしたのです。別の言葉に直すと ” 粋 ” と言えばいいでしょうか。気まぐれで動かないことを前提に、損得抜きの自己満足に徹しました。なかなか真意をわかってもらえない孤独はありますが、それでいいんです。粋は さっぱりとしたものです♪。この やせ我慢に 妙な快感を覚えました(笑)。神仏は見てござる・・・・粋ですねぇ。

ひすいこたろう氏の体験談です。
以前、熊本の幣立神宮で正式参拝をさせてもらったときに、神主さんがこんな話をしてくれました。「日本人が大事にしてきた叡智である『神道』には、あるものがないんです。他の宗教だったら考えられない、決定的なものがない。なんだと思いますか?」なんだと思いますか?「教えがない」んだそうです。教えがない宗教なんて、他に考えられます?でも、教えがないから相手を裁かないし、ケンカせずに相手に合わすことができるんです。教えがないということは、教えを守らなかったときに落ちる地獄もないということ。地獄がないから、誰かに救ってもらうべく救世主も必要ないのです。日本人は救世主を待たなくてもひとりひとりが内なる叡智とつながっていけると考えていたのです。教えはない。救世主もいない。そんなの宗教じゃない(笑)。そう、宗教じゃないんです。「神道」は宗教ではなく、日本人の「生活」だったんです。「では、教えがないかわりに、何があったと思いますか?」神主さんの話にはまだ続きがありました。「美しいか、美しくないかで判断する感性があったんです」これが答えでした。「その行為は美しいのか?」これが日本人の生活(神道)の本質だったわけです。(『なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?』 ひすいこたろう 著 滝本洋平 著 A-Works)

人生は損得の計算をすることが必要で、みな自分が得するように動くものです。しかし、得するための言動、損を回避するための 偏った言動は 美しくありません。 粋とは 損得勘定よりも、自分の言動の美しさを優先する価値体系です。そんな中、今やってることが将来の人々の為になってると思えれば、人生は より楽しいものになるはずです。みんな「自分が正しく、相手は間違っている」と思ってます。正しいか間違っているかで判断しようとするからケンカになるのです。美しいか、美しくないか・・・老若男女を超えて、生き様の美しさを魅せ合うようになれれば素敵だと思います。そんなことを学んだ一年でした。皆様、お世話になりました。よいお年を。合掌

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