兆し

紅葉のシーズンも終わり、季節はすっかり冬の様相です。奉職寺院では今年も修行の時節となりました。三千礼拝で 一年間の心の垢をしっかり落としていく所存です。よく「修行中は 何を考えていますか?」という質問があります。答えは僧侶よって違いますが、私は「この一年 どれほどの成長ができたか 」と自問自答をしつつ  礼拝に入ります。

成長とは ”外に意識を向け、他にどれほど影響を与えたか” と、 通常「成長=拡大」と捉えますが、私にとっての成長は内なるものです。師匠は ”物事の兆しをいかに感じ取れたか” が成長だと教えて下さいました。「兆し」とは、物事が起こりそうな気配 をいいますが、あらゆる人間の活動は、この兆しを見極められるようになると、相手の動きを一瞬早く予測できるとスムーズに事が運びます。また「お・も・て・な・し」という言葉が流行語大賞になりましたが、これも相手の心の「兆し」(心の状態)を素早く察知できる能力です。僧侶は この ”察する力” が必要だと思うのです。

お寺の生活は、この「兆し」を感じる絶好の修行場です。朝はお勤めや掃除から始まりますが、その時節の空気や水の冷たさ、樹木の色づき度合い等、我々は 季節のうつろいのような微妙なものを感じながら生活をしています。こういった身近なことに意識を向けながら生きることで 感性が研ぎ澄まされ、ひいては「兆し」が見えてくるのです。

先日、観光客から「堂内が寒い!」とお叱りを受けました。しかし、冬のお寺は寒いのです・・・(笑)。現代人は 快適な生活に慣れすぎ、季節の小さな変化に意識を向け、喜びを味わえない人が増えているように感じます。「成長=拡大」の解釈は、物質的な豊かさ ・快適さにつながりますが、その前に 物事の小さな「兆し」を感じとり、日常に感謝できる心を養っていくことも 大事な成長 だと思います。合掌

 

 

カテゴリー: 未分類   パーマリンク