善導忌(平成30年)

今晩、西願寺の三大法要の一つ、善導忌(ぜんどうき)を勤めました。檀信徒をはじめ、隣寺のご住職方や総代、詠讃会、尼講、有縁の方々に参列いただき、法然上人の師匠である 善導大師を偲ばせていただきました。

善導大師

法話は 滋賀県の布教師会会長・西川章生上人に授戒の話をしていただき、ユーモアをふまえ、わかりやすく仏教入門をお説き下さいました。西願寺の授戒会(じゅかいえ)は、2021年10月9日(土)、10日(日)、11日(月・祝)に行います。これから授戒会本番までの三大法要は、授戒を中心にわかりやすい法話をされる方をお招きしますので、檀信徒以外でも聞きに来ていただければと存じます。それから授戒を受けられるかをお決めいただければ結構です。仏教的な生きる指針を授かり、仏教徒になってもらうのが授戒会です。興味のある方は、心に留めていただければ幸いです。

善導忌法要

西川上人のお説教。好評でした^^

吉永 賢一氏のお言葉です。
「最高の日って、どんな日でしたか?」「最高の一日って、いつですか?」という質問に、「彼女(彼氏)と出会った日です」「結婚式の日かな」「〇〇大会で優勝したとき」「大学に受かったときです」など、いろいろな答えが返ってきます。

このような答えはことごとく貧乏発想です。なぜかというと、みんな過去のことだからです。過去の一日が最高の一日だったということは、今日よりよかったということです。つまり、その最高の日と比べると今日は落ちているわけで、それは下り坂の人生を生きているということになるから貧乏発想なんです。

もっと詳しく説明すると、今日という一日が過去よりも下なのに悔しくない、というところが典型的な貧乏発想です。上に行く人は常に進化しています。ですから、最高の一日は今日でなければいけない。だからこそ、今日が人生最高の一日になるように挑戦し、毎日毎日生きるわけです。そして過去ベストを更新し続け、「今日が人生最高の一日だったな」と夜に思う。そしてまた次の日の夜には、「今日こそ最高の一日だったな」と思う。これをどこまでできるかです。(『東大卒でも貧乏な人 高卒でも成功する人』 総合法令出版より)

仏教の修行をして戒名(仏教の名前)を授かることは、新たな人生の第一歩となります。仏縁を通じて、この世のみならず、あの世まで進化し続けようという決意の現れが授戒です。共に「この世とあの世を貫く幸福」を獲得しましょう。合掌

〈西願寺授戒会について〉
・参加費用は6万円に決定しました。あと先祖回向を承ります。参加者には戒名の巻物、数珠、袈裟、経本、浄衣をお授けします。(昼食あり)
・宗派は問いません。(但し、浄土宗の作法となります)
・執拗な勧誘は致しません。後に檀家になる必要もありません。
・あくまで修行ですが、勉強会の延長で信仰を深めていく感覚でいていただければと存じます。(希望者はイス席です)
・亡くなった方への授戒【贈授戒(おくりじゅかい)】、遠方や病気、仕事等で西願寺に来れない方(欠席)の相談もお受けします。
・定員になり次第、募集を締め切ります。ご了承下さいませ。

最近、種々の問い合わせが増えてます。授戒会の他、骨仏、永代供養、琵琶説教、葬式、ペット、水子供養等々は090ー6600ー6418まで 気楽にどうぞ。

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自分の作り方

先日、アトリエシムラ主催の勉強会に招かれ、琵琶説教を勤めてきました。人間国宝で染織家の志村ふくみ師と洋子先生からのご依頼で実現しました。文化を広めるという観点で、様々な角度から学びの場を提供されるお姿に頭が下がります。本来、寺院がその役割を担うべきですが、意識のない僧侶が多いことは恥ずべきことだと思いました。

説教の最後は、ロウソクだけの暗闇の中、「耳なし芳一」を語りました。

説教の最後は、ロウソクだけの暗闇の中、「耳なし芳一」を語りました。

当日は台風24号が近づいているにもかかわらず、60名近くの方がご参加下さいました。福岡から日帰りで琵琶を聴きに来て下さる方もありました。メインの演目は、志村家の先祖とされる「那須与一」。琵琶はタイムマシーンのようなもので、時空を超え 現代にその状況を伝えることができます。様々なご縁が絡み合って今があると思うと、感慨深いものがあります。最後は 志村昌司氏と濱崎加奈子さんとの鼎談(ていだん)で、あっという間の2時間でした。それぞれの分野の方と 公開の対談でしたので、独特の緊張感がありました。同じ思想の方々との馴れ合いではなく、それぞれの立場を主張するには、” 自分 ” というものを持たねばと思いました。

あおいさんの言葉を引用します。
人が過ちを犯す過程とは、まず自分を失うこと、そして失った自分を違う誰かに委ねてしまうこと。まわりに流され、まわりと一緒というだけで安心してしまい、自分の発言や行動から ” 自分 ” がなくなって、無責任に無自覚に過ちを犯してしまうってことです。「和を以て貴しとなす」とは言うのですが、和と同は似て非なるもの。これは決して同調をよしとする言葉ではないのです。

人間は 暇と忙しさのバランスではなく、” 人と関わる時間 ” と ” 一人の時間 ” のバランスが大事なのだと思います。人と関わる時間が多過ぎても自分が亡くなります。また、一人の時間が多過ぎても社会に適合できなくなってしまいます。自分が自分で在りながら社会に適合するためには、人と関わる時間と、一人の時間のバランスを取っていかなければいけないということ・・・人との交わりと、孤独の研鑽が ” 自分 ” を作っていくものだと学びました。合掌

有斐斎弘道館(ゆうひさいこうどうかん)にて

有斐斎弘道館(ゆうひさいこうどうかん)にて

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わたしは、私

最近、住職のスケジュールが過密で、分刻みのスケジュールとなっています(笑)。日々の法務や奉職寺院への奉仕、琵琶説教やお葬式 等々、ベクトルが全く違う勤めが うまく回っているのが 我ながら不思議です。様々な ” 縁 ” によって上手く運んで下さってると思えば、本当に報恩感謝の毎日です。

世間でも色々ありますね。最近の出来事ですと、同世代の安室奈美恵さんは 見事な引き際を見せてくれました。また 特に印象に残っているのは、15日に逝去された樹木希林さん生き様です。ここまで ” 諸行無常 ” に逆らわず、自然体で 自分らしく生きれることは素晴らしいなぁ … と、僧侶の立場から見ても 素直に尊敬させられる人でした。

2016年に樹木さんが勤められた西武・そごうのCMの言葉です。

今年、あなたはひとつ歳を取る。

その度に、歳相応にとか、

いい歳してとか、つまらない言葉が、

あなたを縛ろうとする。

あなたは、耳を貸す必要なんてない。

世間の見る目なんて、

いつだって後から変わる。

着たことのない服に袖を通して、

見たことのない自分に心躍らせる。

他の誰でもない「私」を楽しむ。

そんな2017年が、

あなたには必要なのだから。

年齢を脱ぐ。

冒険を着る。

今の私に染み入る言葉です。住職は求めに応じて 予定を合わせますので、プライベートがどんどん削られます。よく言えば ” 無私 ”なる精神ですが、悪く言えば、自らの心身の声を ” 無視 ” している状態なのかも知れません。希林さんや安室ちゃんのように、心と体のバランスを取って、あせらず、おこらず、いばらず、くさらず、まけないで生きていきたいと思いました・・・そして「私」を楽しめれば最高ですね^^。合掌

西部・そごうのCM

西部・そごうのCMから借用
琵琶法師ですが、樹木希林さんのようにロックに生きたいと思いました!(笑)

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最高で本物の強さ

8月は様々なスポーツ観戦をしました。第100回の高校野球は 大阪桐蔭高校が春夏連覇、金足農業高校の健闘もあり、大いに盛り上がりました。また インドネシアで行われたアジア競技大会も 日本はメダルラッシュで、沢山の感動をいただきました。 

この健闘を見ていて、” 強さ ” って何だろうって考えました。私が修行させてもらっている京都の師匠は 20年以上お仕えしてますが、常に冷静な眼で物事を判断され、謙虚、礼節、敬いの精神を大切にされています。忍耐に欠ける人は、そのような無私なる精神を ” 弱さ ” にとらえる人もいますが、ゆくゆくは その温かさが 皆を幸せに導いてらっしゃることを 私は目の当たりにしています。それは時間が経つとわかる ” 強さ ” です。このような 器の大きな師匠 のお側に居れるのは 最高の悦びです。

逆に ” 強さ ” を外に向ける人がいます。皆様の周りにもいらっしゃいませんか? 世界の有名な政治家やカリスマ的な経営者、また 権力のある坊さんでも構いません。想像してみて下さい・・・そういう方は、遠目で拝見する分には 魅力を感じますが、近付くと大変です。その場 その場で発言が変わり、都合に合わせて口撃し、嘘にウソを固め、” 己の強さ・正しさ ” をアピールされます。そうしないと、自らの地位が守れないからです。残念ながら、そのような強さは ” 強がり(強我利) ” となります。その強烈な個性や才能に惹かれ、また 術のような言葉に酔いしれて 人は寄ってきますが、保身のため 縁切りを繰り返して 周囲を混乱させる・・・そういった話を聞くにつれ、先の師匠のように 自分に出来ることを地道に勤め、我をおさえ、時間に耐えながら、周囲を淡々と幸せにすることこそが ” 本物の強さ ” だと思うのです

いつも申しますが、強腕による輝きではなく、年齢を重ねるごとに いぶし銀のような光を出せるような方が本物だと思います。それは 器の大きさであり、時間が証明するものだと確信します。今夏は オウム真理教事件の節目でもありましたが、師匠を間違えると 人生が狂ってしまいます。

DJあおいさんのお言葉です。
強く見られたい人は
自分より弱い者を探します
強くなりたい人は
自分より強い人を探します

強く見られたい人は
常に自分が上となるコミュニティに身を寄せます
強くなりたい人は
常に自分が下となるコミュニティに身を寄せます

強く見られたい人は
自分が弱いことを認められない人です
強くなりたい人は
自分が弱いことを認めている人です

強く見られたいと思っている人が
弱い人なのです
強くなりたいと思っている人が
強い人なのです

見られたいのか
なりたいのか
他者評価が欲しいのか
自己評価を上げたいのか
他人は騙せても
自分は騙せない

弱くてもいい
強くなりたいと思える人であってください

高校野球では、金足農業の特集ばかり挙げられてますが、私は勝つことを宿命づけられ、優勝した大阪桐蔭ナインに感動を覚えます。優勝が決まった瞬間、主将の中川卓也選手の目から涙が止まりませんでした。「去年の自分のミスで負けて始まった新チーム。春夏連覇という目標だけをもって戦ってきた」と喜びを語り、西谷監督の「中川が作ったチーム」という言葉について問われると、言葉に詰まり「自分が作ったチームというよりは周りの皆を支えてくれて、受け入れてくれたおかげ。本当に感謝したい」とチームメートに感謝されてました。最後に「最高で本物のチームだった」と満面の笑みに、これこそが ” 最高で本物の強さ ” だと学ばせていただきました。彼こそ 時間に耐え、器を広げられた ” 強さ ” の手本であると存じます。我々もパフォーマンスではなく、心の底から沸き上がる 感謝やお陰、ご恩やありがとうを大切にしていきたいものです。合掌

中川キャプテン(右)と根尾副キャプテン(左)                                                   このまま謙虚、礼節、敬いを忘れなければ、明るい未来が待っていることと存じます^^

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お盆の終わり

無事にお盆の行事を勤めることができました。西願寺は今まで二代三代の僧侶が 盆行事を分担してましたが、今年から僧侶が住職のみ。得度を受けた息子達が よく頑張ってくれました。この繋がりは一日にしてなりません。様々な縁に感謝です。

長男の棚経(たなぎょう)デビューにケーキを下さる檀家さまがありました(嬉泣)

最近思います。指導を受けてる立場の時は やらされてる感が強く、終えた時には自己達成感でいっぱいでしたが、実際しんどいのは指導する方なんだぁ … と。私も これまで育てていただいた方々に感謝ができる年齢になりました。特にお盆は そいうことを感じさせてくれる大切な時期です。

素敵な話が紹介されてました。
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していた為 おばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、遠足などある時は いつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。でも当時おばあちゃんが作るお弁当は おにぎり2つだったので、同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して「こんな変なお弁当つくらないでよ」「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。

そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。おばあちゃんは、「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・これなら恥ずかしくないかねぇ」と、シワシワのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。

おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、「おいしかったよ」の一言も言わなかった。本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。今私は結婚し、子供にも恵まれました。おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見るとこれがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。大好きです。

子供の頃や、仕事を始めたばかりの頃は、自分の力で大きくなったような気がしていました。しまいには教え方がヘタなどと言って、相手のせいにすることもありました。今思うと、とんでもない勘違い野郎です(笑)。どんな想いで育ててくれたか、どんな気持ちで生意気な後輩を指導してくれたか、その「愛」に気づかず、自分だけがすべての子供のような新人でした。自分が教える立場になり、育てる立場になり、どれほどの「愛」を注いでもらったかに気づきます。(「魂が震える話」より)

我々は まず「自分の現在地」を見つめることから始めましょう。今 置かれている「現在地」を確認し、謙虚に感謝できれば 過去も未来も輝きます。逆の人は、見ていて痛々しい餓鬼になってしまいます。すべてがうまくいきません。「幸福の青い鳥」は他にはいませんよ。

心より過去 現在 未来、すべての方々に感謝、ご恩、ありがう、おかげさまの心を捧げます。今、幸せをしみじみ噛みしめています。合掌

施餓鬼をしてますと、縁側に餓鬼の足跡らしきものが浮かびあがってきました。念いは通じるものです。              逆に人間には 念いが通じにくいものです。自分で気付かねば救われない世界です。

大阪の棚経で 龍神様に祈りましたら、雲が龍の頭になりました。竜眼もしっかり確認できました。

三界萬霊に供養中に 虹が架かりました。様々な念いが反応してくれたお盆でした。

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お盆の始まり

平成 最後のお盆が始まりました。西願寺は浄土宗ですので、盆行事は丁寧に勤めます。大きく分けると三行事があり、①墓参り、②住職が各家に伺う 棚経(たなぎょう)、③壇信徒がお盆の仕上げに詣る施餓鬼(せがき)があります。田舎のお盆はバカンスではなく、先祖と共に生きる風習にあります。

二日とも 上天気でした!

昨日と今日は墓参りがあり、2日間で45軒の読経をしました。西願寺の墓参りは 墓と本堂の二カ所で勤めます。今年から墓の担当は長男と二男が勤めてくれました。これには本当 助かりました(涙)。住職独りで勤めていれば、墓所と本堂は大渋滞。私自身もこの暑さで倒れていたかもしれません。その他、参られた方への応対を含めると、寺族全員で力を結集せねばなりません。この日に向けて、心を一つにして ご先祖様はもちろん、参詣の壇信徒や親戚縁者を快くお迎えする・・・墓参りに関しては 住職だけではなく、寺内の気概が必要な行事です。年々環境が変わる中、今年も無事に伝統を引きつげ ホッとしています。しんどい中でも、楽しみながら勤めさせていただきました^^。

総代様のご厚意で、簾で日陰を作っていただきました。

参詣の子供達には、お菓子の授与です!

歴代上人も続けてこられた伝統を、今年も勤められました。

大富豪の斎藤一人さんはこう仰ってます。
「私はね、中学を卒業したとき、働かずにお金を稼げるんじゃないかと考えたんだ。その頃、自分が天才だと思っていたんでね。だけど、どんなに考えてもその方法は見つからなかったの。それで、次に考えたのは、『楽しく、笑って、働くこと』だった。これを実践したら、仕事もうまくいって、お金儲けもうまくいくようになったんだ」

仕事が好きで、喜んでいただくのが好きで、その仕事を楽しんでいる人のところにお客さんが集まっているのではないでしょうか。嫌々仕事をしていると、なぜか嫌な仕事が次から次へとやってくるものです。楽しんで仕事をしていると、なぜか楽しい仕事が次から次へとやってきます。楽しんでいる人は、たとえ上手くいかないことがあったとしても嫌いにはなりません。その上手くいかないことを「面白がる」のです。どうしたら次は上手くいくのかと、ワクワクしてしまうのです。元々そんなポジティブじゃないので出来ません・・・という人もいますが、ポジティブかどうかは、持って生まれた素質や性格ではありません。自分がしてきた「習慣」が、「ポジティブ習慣」なのか「ネガティブ習慣」なのかに、よるのです。

本当に色々ありますが、亡き人や壇信徒の交流を『楽しく、笑って、働くこと』を意識しながら勤めます。様々なご加護を念じ、今回のブログを結びます。合掌

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現在地を見つめる

先日、2018年 FIFAサッカーワールドカップ ロシア大会が無事に閉幕し、フランスが見事 優勝しました。日本代表も前評判を覆し、ベスト16の大健闘でした。その中でも2ゴールを決めた乾貴士選手は、地元・近江八幡の出身で、昨日、市民栄誉賞が授与されました。私の母校・八幡中学校の後輩に当たるのが 密かな自慢です(笑)。選手の皆様、感動をありがとうございました!

この健闘は ” 過去 ” からの地道な積み重ねが ” 現在 ” の結果に至り、それが ” 未来 ” に繋がっていくものだと存じます。過去、現在、未来・・・どれも大切ですが、結局は ” 現在の自分 ” とどれだけ向き合えたかにかかっているのではないでしょうか。これは評論家やファンにはわからない世界です。

ひすいこたろう氏と大嶋啓介氏の『前祝いの法則』に こんな話がありました。
夢を明確にするだけでは、実は夢は叶いません。たとえば、カーナビで「行き先」を指定しただけではそこに着けません。もう一つ、「現在地」も入力する必要があります。では、あなたの人生において、「現在地」とはなんでしょうか?「現在地」とは、あなたが現在、ありのままに感じていること、そのすべてです。つまり、自分が感じてることを否定せず、いま、そう感じているんだなとありのままに受け入れ、認めることができたら、「現在地」が定まるのです。

たとえば、寂しいとき「あっ、私はいま寂しいんだな」とそのまま認めれば、現在地は明確になるのに「寂しい私はダメだ」とジャッジし、否定するので「現在地」がブレてしまうのです。自分が感じていることを、そのまま素直に認めてあげればいいんです。いままでにいろんな成功法則や引き寄せの法則が流行りましたが、結果が出る人と出ない人がいます。

「その違いはなんだろう?」と研究した友人がいます。さて、なにが違ったのでしょうか?それは自分を好きかどうか、自分を受け入れているかどうかでした。つまり、「現在地」が定まっているかどうかだったのです。

「未来」=「心」(あなたのいまの心の状態)×「行動」

自分を嫌っているということは、「自分の心の状態」がマイナスなわけですから、どんなメソッドや行動を取り入れても、未来がなかなかプラスに反転しないのです。また、「やりたい」ではなく、「やらなければいけない」と嫌々やっているときも、心の状態がマイナスですから、奇跡は起きにくいわけです。そして、この心の状態が最高の状態はなにかというと、心から面白がれているときや、また、感謝があふれているときなのです。感謝のエネルギーが一番高く、感謝までいけば奇跡は頻発します。(フォレスト出版) 

まさにその通りだと思います。我々は 夢を語るに ” 現在地 ”(今の自分)を知らねばなりません。私は一瞬の煌めきを持ってる人よりも、長く物事を続けてらっしゃる方に惹かれます。それは地に足を付けて 今を行動をされてるからです。

・・・ ” 点 ” が繋がり ” 線 ” となり、 ” 線 ” が繋がり ” 縁 ” となる ・・・

その地道な姿が、過去も未来も明るくするものだと確信します。来月はお盆です。ありがとう、お陰さま、感謝、ご恩の精神で ” 現在地 ” をしっかり見つめ、ご先祖さまに報恩の誠を捧げましょう。合掌

追伸 : 例年通り、特別施餓鬼(盆供養)を承ります。戒名(もしくは生前のお名前)や願い事を西願寺にお送り下さい。【一霊(一祈願)1000円です】

小西市長からトロフィーを授与される乾選手

滋賀県からは県民スポーツ大賞特別賞が贈られました

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授戒会準備委員会の発足!

西願寺に軸足を置いて、1年余りが経ちました。徐々に檀信徒とコミュニケーションが取れるようになり、今後の西願寺興隆に繋がる種植えをしています。

無から有を作り出すのは 相当なエネルギーが必要です。皆様が私の念いを どこまで理解して下さるかはわかりません。誤解されることもあるでしょうが、すべては西願寺の未来ためです。「やらねばならぬものは、やる!」の精神で 粉骨砕身していきたいと思っています。

昨年の秋、市内の正福寺さまで授戒会が勤められ、その法灯を受け継ぐ覚悟をしたのが、昨年の11月12日(日)。それから半年あまり、、、満を持して6月19日に「授戒会(じゅかいえ)」の準備委員会の初会合をしました。当山では30~40年に一度開く修行道場です。前回は昭和61年に開催されましたので、ちょうど考える時期にきています。

授戒とは、迷いのない心を得て 人生を歩むための指針を、お釈迦様の教えに基づいてお伝えする修行です。金品では得られない心の置き所を会得し、仏弟子となって迷いのない人生を全うするのです。

よって授戒をお受けいただくと「戒名」を授与しますが、戒名は仏弟子となった貴方の名前あり、人生再出発の名前となるのです。このため 本来は亡くなってから付けるものではありません。その仏縁を結んでいただくのが授戒会です。

仏教には「一念三千(いちねんさんぜん)」という言葉があります。これは、人の心の針は 常に めまぐるしく動き、三千種類の世界が展開するという意味です。つまり、人間に生まれれば、形の上ではたしかに人間ですが、心の働きからみれば餓鬼であったり畜生であったり地獄であったりします。

この定まらない心の動きこそが苦しみの根源であり、このような状態から脱皮して、仏の内容が備わるよう人間改革するのが「戒」なのです。

「一念三千」のしくみ

・・・という理念を申しても、価値観が多様化する現代社会では、3日も休み取れない!、戒名なんか要らない!、お金がもったいない!等々の本音が聞こえてきそうです(笑)。これを粘り強く布教して、個人やお家の幸せを祈るのがお寺の役割です。

『言いにくいことをうまく伝える会話術』(草思社)にこんな言葉がありました。
わたしたちは相手の意図を知らなくても、それを知っていると思いこむ。さらに悪いことに、わたしたちは人の意図がよくわからないにもかかわらず、それを往々にして、悪いものだと決めつけてしまう。実のところ人の意図は目に見えない。わたしたちは相手のふるまいからその意図を想定する。言い換えれば、相手の意図をこちらでつくりだすのだ。しかし、相手の意図についてわたしたちがつくり出したストーリーは、自分で考えるよりもはるかに不正確であることが多い。

なぜか?人の意図とは、複雑なものだからだ。人はときに複数の意図をもって、あるいはなんの意図もなく、少なくとも わたしたちと関係ある意図は何もなしに行動する。そして善意から行動したにもかかわらず、ときに、私たちを傷つけたりもする。相手の意図に対するわたしたちの見方(あるいはわたしたちの意図に対する相手の見方)は 重要なもので、根拠のない思い込みに走るのは 大きな失敗を招きかねない。(ダグラス ストーン、シーラ ヒーン、ブルース パットン著)

人は 自分の経験値で物事を聞き、判断する生き物です。時には仏よりも偉い存在に錯覚しがちです。しかし 自分本位な ” 想像 ” を超え、” 行動 ” で示す人は立派だと思います。そうなると 誰もが聖人ではありませんので、途方もなく粘り強い精神が必要となってきます。

しかし「戒」を受けると、仏の方向性が しっかり観えてくるのです。心の針が安定すれば、苦難困難が ” 有り難さ ” に変わってきます。現代のように「したくないものは しなくてもいい」、あるいは「損得勘定の価値観」ですと、心の針がグルグル動くだけで いつまでたっても幸福(ご恩、感謝、ありがとう、お陰さま)がおとずれません。

おそらく授戒会を開かねば 精神が骨抜きになり、50年後には寺は無くなるでしょう。繰り返しになりますが、「やらねばならぬものは、やる!」の精神で粉骨砕身していきたいと思っています。まだ 皆様をお誘いできる環境は調いませんが、3年後をめどに考えています。ブログを読んでらっしゃる方で、私を通じて仏弟子になりたい方は意識なさって下さいませ。他の案内とは訳が違います。今回を逃せば40年後(笑)。またお誘いします。合掌

授戒会準備委員会の初会合。一致団結して勧めてまいります!宜しくお願いします。

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念仏同行の発足!

先日、皆様のお陰で「回番御忌」が無事に終わり、実行委員会も解散しました。その後、有志の方から この会をなんらかの形で継続して お寺に集いたいという要望がありました。住職にとってはこの上なく嬉しいことです。今回は 6月12日の晩に 実行委員会ののメンバー6人と総代、副総代に集まっていただき「別時念仏(べつじねんぶつ)」をしました。

別時念仏とは、時間と場所を 定めて念仏(南無阿弥陀仏)を唱える修行です。他寺では30分唱える所もあれば、一時間という寺もあります。私の経験上、初心者はイタズラに長いと心が散漫になるので、千遍の念仏としました。私は日課として 自分のために唱える南無阿弥陀仏を、一日千遍と定めています(もちろん法要での念仏は省きます)。それを体験していただきました。現代は 先祖のために念仏を唱える風潮がありますが、本来は自分と向き合い、自分のために唱えて 初めて救いというものを実感するのです。今回は なぜ念仏を唱えるのかと言うことをお話し、私が訳したお経を読み、十数分の念仏の後に法話、最後、水晶と音叉を使った特別なお清めを致しました。合計40分。私が長年 皆様と分かち合いたかったことが実現し、悦びに満ちた別時念仏となりました。

百遍の念仏を唱えれば、○1つに色を塗ります。全て塗りつぶすことができれば、最高の御利益が待っています。        ※参加者には この徳本行者の念仏紙を差し上げます。

特注の五百遍数珠。2周回せば千遍の念仏となります。下はお清め用の水晶。

アメリカの臨床心理学者、アルバート・エリス氏のお言葉です。
心に動揺があると自己実現はそう簡単に達成されません。追い立てられる気がして自滅的な行為をしたり、暇になることを避けたいために脅迫観念を抱いたり、衝動的になったり、パニックになるかもしれません。動揺することは実際、興奮をかき立てます。人生をエキサイティングにするために、動揺したいと思うかもしれませんが、そんな価値はありません。動揺に伴う興奮を楽しみながら、もっと楽しめることを見つけ出す、ということは不可能です。なぜなら、動揺するとそれに費やされる時間やエネルギーは非常に大きく、自分の幸せをどうやって育てるかを考えるための時間とエネルギーがほとんど残らないのです。そうして、あなたの動揺は、あなたの自己実現的な目標の達成を妨害します。(『性格は変えられない、それでも人生は変えられる』ダイヤモンド社)

私は多くの後輩僧侶の指導に当たりますが、まぁ このタイプが多いこと …(笑)。何を焦るのでしょうか。1、2年経験を積んだだけで勘違いし、輝き続けるために動揺し、恩人を否定、周りとの温度差に嘆き、新しい環境を求めていきます。そうして苦難に入り、被害者意識の塊(餓鬼)となる・・・残念ながら、人は苦労しすぎると、卑屈になってしまいます・・・致命的な遠回りです。そういう方を何人も見てきました。しかし、仏縁はもっとシンプルなものです。

この世は ” 光と陰 ” があります。光り輝けるのは陰があるからこそ。自己実現が出来ないのは、陰の有り難さがわからないからです。陰を知って ” お陰さま ”・・・この境地が動揺や不安、憂うつを超えた安らぎの世界なのです。あとは時間と縁が自己実現に導いてくれるのです・・・焦らなくてよろしい。

まずは理想論ではなく、千遍の念仏から始めようじゃありませんか。今回、真っ暗な本堂で、ろうそくの光を見ながらの別時念仏に、ご恩、感謝、お陰、有難うの本来の自分を見つめさせていただきました。皆様も 私の修行の一環を共に体験しませんか。どちら様も大歓迎です。月に一度、自分を見つめてみましょう。近江八幡の方なら、家の玄関を出て 帰りの玄関までで一時間!。別時念仏は賽銭だけで結構。次回は7月31日(火)19時開始です^^。合掌

輝きは、暗闇があるから成り立つのです。これが解れば、自分にあった招福が 必ずおとずれます。                静寂の中、無我無心で南無阿弥陀仏を唱えてみませんか。

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骨佛法要(平成30年)

6月3日、「骨佛法要」を厳修しました。去年までは「東日本大震災物故者法要」として勤めてきましたが、7回忌法要も終わり、その間、骨佛や住職に縁を持たれる方も増えてきました。そこで震災法要と併修し、有縁の方々と供養の場を持つことにしました。

参詣者と共々に東日本大震災物故者、有縁の方々を偲びました。

数あわせのイベントにしたくありませんので、骨佛と縁を持たれる方だけに案内を送り、あとは口コミで広げていただきました。当日は60名の方々がお参り下さり、本当に楽しい時間を過ごしました。法要や琵琶説教はもちろん、後輩僧侶の心の込もった回向、有志の方々(お気楽さん)によるハーモニカ演奏、里田さま御一行による手作りオハギの供養、また参詣人がそれぞれ お供えを持ち寄って下さり、皆様の心遣いによる ” 手作りの法要 ” を勤めることができました。みんなが笑顔の法要でした^^。骨佛造立が ここまでの形を成したことは、発願者の住職冥利に尽きる瞬間でした。

お気楽さんによるハーモニカ演奏

里田様ご一行との記念撮影

けい氏のお言葉です。
子供の頃、電話を持ち歩けるなんて思ってもみなかったけど現実になり、携帯電話がスマホに変わり、スマホが喋りだしサポートしてくれて、顔認証でロックが解除されるなんて、僕が子供の頃には誰一人信じなかったでしょう。江戸時代(150年前)の人がもしスマホやドローンや自動運転車を見たらどうするでしょう?おそらく「妖怪め~!」といって斬られます(笑)しかし、それほどの進化を遂げていることも事実です。

和菓子の老舗 “ 虎屋 ” さんは、約500年続いています。その “ 虎屋 ” さんは、「変えるものと変えてはいけないものをハッキリさせてきたことが、虎屋が500年ちかくも続いてきた大きな要因」と語ります。変えてはいけないものとは?「お客様への感謝の心」。では逆に変えるものとは?「味は変えてしかるべきだと考えている」。味は、時代の変化に対応し、変えているそうです。500年続いている虎屋さんをもってして、変え続けているのです。(『魂が震える話』)

時代の速さは想像を絶します。便利になり、価値観が多様化し、人々は 大事なものを見失いかけてるのではないでしょうか。そんな中、参詣人の笑顔を拝し、虎屋さんの教訓の大切さを感じました。変えてはいけないものは ” 感謝の心 ”。末永く続くため、時代にあった ” 味付け(布教方法) ” に変える ・・・真理(救い)は妥協してはいけませんが、壇信徒と向き合う姿勢(工夫や精進)が大切だと思いました。偉そうなことはいえませんが、感謝やお陰、ご恩や有難うの精神だけは外してはいけないと思っています。だから 西願寺に集まる方々は笑顔なのだと思います。

本日、回向師デビューをした後輩僧侶の「西願寺さんの あたたかい雰囲気に触れることができ、私はラッキーでした。今後ともお世話になりたいです!」という言葉に、嬉しく思いました。慢心がなければ、西願寺の阿弥陀様は さらなるチャンスを与えられることでしょう。仏縁はそれほど尊いものです。私自身も お育ていただいてます。本当に幸せです。ご参拝の皆様、誠にありがとうございました。合掌

琵琶説教は、『曲垣平九郎』から、節目の大切さをお話しました。

本堂内いっぱいの方々に参拝いただきました。皆様、ありがとうございました!

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