煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)

本日2月15日は、お釈迦さまが亡くなられた「涅槃(ねはん)」の日です。語源は「ニルバーナ」で「吹き消す」の意味です。つまり ” 煩悩を吹き消した状態 = 完全な悟り ” を表します。では なぜ「涅槃」は ” 死 ” を意味するのでしょうか。それは 人間界でお悟りになったお釈迦さまでしたが、諸行無常のこの世には 永遠に留まることはできません。そこで目的を果たされた後、本来おいでになるべき次元へ還られた。つまり、生身の身体を脱ぎ捨てられたので、煩悩が完全に無くなった・・・このことから「涅槃 = 死 = 完全な悟り」 の方程式ができています。

しかし、一般人が涅槃とはいきません。死ねば皆、仏になるというのは間違っています。凡夫には 「煩悩即菩提」(煩悩=悟りの種)という言葉があるように、煩悩の火を吹き消すことは 極めて難しいです。つまり、いかに煩悩と うまく付き合うかがポイントとなります。そこでよくあげられるのが 蓮の譬え です。仏教の花である蓮は、泥の中に根を下ろして 水面に綺麗な花を咲かせますが、 汚い泥は人間の煩悩を表します。蓮の花は泥が深ければ深いほど、大きく綺麗な花を咲かせます。つまり、自分は業が深い 煩悩だらけだと悲観する事はなく、この苦しみがあるからこそ、大きく綺麗な 魂の花を咲かせることができると考えるのです。これが念仏思想の根本です。煩悩を否定せず、幸福のためには その身そのまま…自分の時間を持ちたいものです。実際、お釈迦さまも法然上人も お一人の時間を大切になされていました。

泥水を養分に 美しい華を咲かせる蓮

泥水を養分に 美しい華を咲かせる蓮

精神科医・斎藤 茂太氏のお言葉です。
1日24時間を「人のため」だけに使わない。ストレス解消のためにも、ひとりになれる時間を大切にしてもらいたい。そのために趣味を持つのもよい。散歩の習慣をつくるのもいいだろう。「自分のため」に使う時間を持ってもらいたいのだ。24時間、毎日毎日「人のため」では、あげくには自分という人間が壊れてしまう。競走馬のサラブレッドは、夏場は北海道の広い牧場に解放され、好き勝手な時間を過ごす。そういう休養の時間がなければ、人のために走ることはできないのだ。(『「ちょっとした言い方」が上手い人下手な人』新講社)

これは怠惰のススメではありません。この世は 煩悩によって成り立っています。いわゆる、目的を持った「煩悩即菩提」が大切ではないでしょうか。世のため人のためにも、自分の時間をしっかりと持ちましょう。自分が幸福でないのに、人に幸せを伝えることは出来ないと思います。” 欲 ” を活用するのです。その目的を仏教が教えてくれるのです。涅槃の日に煩悩について考えてみました。合掌

猫がいる西願寺の涅槃図

猫がいる西願寺の涅槃図

カテゴリー: 未分類 | 煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい) はコメントを受け付けていません

バカボンのパパなのだ~

本日は「立春」。暦の上では春となりました。私事ですが、先日41歳の誕生日を迎えました。去年、30代から40代に入った頃は 感慨深いものがありましたが、今年はすんなり…といった感じです(笑)。昭和生まれの私には、” 41歳 ” と聞くと 赤塚不二夫氏のテレビアニメ『元祖天才バカボン』のエンディングテーマ曲を思い出します。「♪41歳の春だから~」・・・バカボンのパパと同じ年齢になったんですね・・・やはり感慨深いです・・・(汗)。

このアニメは 仏教思想が背景として描かれてるのはご存じでしょうか。まず「バカボン」とは「薄伽梵(バガボン)」= ” 覚れる者 ” という意味で、お釈迦さまを指します。また バカボンのパパは、出産と同時に歩行して「天上天下唯我独尊」と叫んだといいますが、これも お釈迦さまご誕生の伝説と同じです。そして、有名なバカボンのパパの言葉「これでいいのだ」は “ あるがまま ” を表し 、ありのままを受け入れる という悟りの境地なのです。さらに「レレレのおじさん」についても、実際にお釈迦様の弟子である「周利槃徳(シュリハンドク)」がモデルになっていて、徹底した掃除により 心の垢を落とした阿羅漢を示します。まだまだあります。「タリラ~リララ~ン」は、チベットのターラ菩薩の真言でもあると言われていたり、バカボンの弟である天才「はじめちゃん」は東京大学名誉教授でインド哲学・仏教学者であられた中村元(はじめ)氏から名づけられたとか。そう思うと、なんとも深い仏教的なマンガなのです。

平成20年8月2日にお亡くなりになった 赤塚不二夫氏の葬儀で、タモリ氏が 白紙の弔辞の中で、故人を次のように称えています。
「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち ” これでいいのだ ” と」。

昨年は ” 不惑の年 ” となったはずでしたが、色々な出来事に翻弄された一年でした。今年は、ありののままを「これでいいのだ!」と言えるよう、バカボンのパパに少しでも近づければと存じます。合掌

41歳・・・貫禄ありすぎです。。。

バカボンのパパ        41歳・・・貫禄ありすぎです

レレレのおじさん 「おでかけですか~」っていう声かけ運動も見直されています。

レレレのおじさん           「おでかけですか~」という声かけ    運動が、現在 見直されています

カテゴリー: 未分類 | バカボンのパパなのだ~ はコメントを受け付けていません

やりたいことをやる

本日、灘(なだ)中学校へ講演に行ってきました。灘校といえば進学エリート校で有名です。どんな子達が集まっているのか興味がありましたが、色々お聞きをすると、創立にあたって 講道館柔道の創始者・嘉納 治五郎 氏が顧問として参画しましたので、柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」が校是となっているようです。ですから、柔道が全員 必須になっており、講演も柔道場で行いました。まさに文武両道の学校です。

また、生徒をできるだけ紳士として扱おうとしている為、明文化された校則がなく、風紀について大部分を生徒の良識に委ねるなど、自由な校風が特徴のようです。もちろん制服もありません。まさに” やりたいことをやる ” 。自主性を重んじた雰囲気の学校でした。

森山 透 氏のお言葉です。
「歩けるうちに、行きたいところへ行け」山へ、川へ、森へ、浜辺へ、外国へ…「目が見えるうちに、見たいものを見よ、美しいものを見よ」青い空や海を、緑の山々を、木々の青葉や紅葉を、子供たちのはね回る様を、色と形と大きさの違う花々を…「耳が聞こえるうちに、聞きたいものを聞け」鳥のさえずりを、岸辺に打ち寄せる潮騒を、木の葉を縫ってそよぐ風の音を、あどけない幼子たちの上げる喚声を。「やれるうちに、やりたいことをやれ」ピアノが弾きたい人はピアノの前に座って鍵盤を叩き、写真を撮って回りたい人はカメラのシャッターを押して回り、泳ぎたい人はプールに入って、民謡が好きな人は腹の底から声を張り上げ、絵が描きたかった人は絵の具をつけてキャンバスに置く…なぜそんなに急ぐのかと訊かれそうですが、せかそうというわけではなく、行うに躊躇する必要はないという意味です。何故なら「やりたくてもできない」ときがきます。それもそのときになって振り返ってみると、今との間にそれほどの長い時間が流れたとは思えないほど近い将来かもしれません。過去を振り返れば、10年、20年、いや30年という歳月が、どれほど短いものだったかは、私たちがよく知るところです。(『自分の「好きなこと」「やりたかったこと」をやろう』 サンガ)

まさに その通りだと思います。住職も 正月から過密スケジュールになってしまい、やりたいことも ママなりません。やりたいことをやれるのは 若者の特権です。歳月の流れがいかに速いものか・・・聴講してくれた182名の子達は、阪神大震災を知らない世代です。21年前、当校も震災に遇い、保健室が臨時の診療所として使用され、体育館は緊急の遺体安置所として開放されていたことを記憶しています。先人の尊い行いは風化させてはいけません。人生の先輩は、謙虚に 歴史や経験を伝え、若者は、素直に その精神を継承しつつ、様々なことにチャレンジすることで 世の中が活性するものと存じます。その核となる精神が 現代人に足りないのだと思います。灘校の生徒諸君には、「精力善用」「自他共栄」の精神で、将来の日本国を牽引して頂きたいものです。合掌

「精力善用」・・・「心身の持つすべての力を最大限に生かして、社会のために善い方向に用いる」という精神。
「自他共栄」・・・「相手に対し敬い、感謝することで、信頼し合い、助け合う心を育み、自分だけでなく他人と共に栄えある世の中にしようとする」という精神。

※浄土宗新聞2月号に琵琶説教が掲載されました。トップ画面の「掲載記事」から ご覧ください。

カテゴリー: 未分類 | やりたいことをやる はコメントを受け付けていません

ブレない信念

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。今年は申(さる)の年です。十二支の運勢でいえば、9番目の干支になりますので、9月をあらわします。つまり、草木が成長から成熟の段階へと移行していく運勢とされ、形となって 今までの成果が得やすい年となります。注意すべきことは、「申」という字は ” 稲妻 ” を表した象形文字だということです。稲妻は空をふたつに割ることから、吉凶が分かれ 流動的になりやすい年となります。しっかりとした見極めや舵取りが求められますので、目先の利益に捉われない ” ブレない信念 ” を忘れてはなりません。

アンドリュー・マシューズのお言葉です。
「今日種をまいたら、明日どんな見返りがあるの?」と質問する人がかならずいる。だが、明日得られる見返りは、「水を吸ってふくらんだ種」でしかない。今日まいた種が収穫となるのは、ずっと後なのだ。いま種を植えれば、実りが刈り取れるのは4ヶ月後になるだろう。自給自足の時代には、人々もこの考えをすぐに理解できた。しかしインスタントヌードルで食事をすませる時代では、それも難しい。フレッドは言う。「ちゃんとした職につけたらまじめに働くよ。皿洗いの仕事なんか、まじめにやってられるか」 それはちがうぞ! フレッド! まず努力ありきで、収穫はそのあとだ。この順序を入れ換えることはできない。(『自分らしく生きているかい?』主婦の友社)

世間には 種をまかずに収穫のことばかり考える人もいれば、種をまいても実にならないと考え、種をまかない人もいます。また、せっかくまいた種が実になるのを待てない人もいれば、種をまきすぎて 手に負えなくなる人もいます。どちらにせよ 申年(9月)は、草木が成長から成熟の段階へと移行していく年です。台風シーズンでもあり、人生設計が狂う場合もあるかもしれませんが、 ” ブレない信念 ” で中長期的な視野で精進したいものです。

私の今年の目標・・・それは檀信徒としっかり向き合うことです。西願寺を護持して下さる方々に還元していきたいと考えてます。具体的には 西願寺通信を発行したり、セミナー的なものを行ったり・・・保守的な地域ですので、戸惑われる方も多いと思いますが、楽しみながら 中長期的な寺作りをしていきたいと計画しています。近頃、イタズラに寺離れが叫ばれますが、まずは努力ありきで、収穫は後だと肝に銘じます。住職の ” ブレない新年 ” の誓いでした(笑)。今年もよろしくお願いします。合掌

日光東照宮の三猿「見ざる、言わざる、聞かざる」 これが”ぶれない信念”を作るひとつのコツだと存じます。

日光東照宮の三猿            「見ざる、言わざる、聞かざる」これが”ブレない信念”を作るひとつのコツだと存じます。

カテゴリー: 未分類 | ブレない信念 はコメントを受け付けていません

淡々と

今年最後のブログとなりそうです。一年間お付き合いありがとうございました。文才がないので恥ずかしい限りですが、「読んでるよ~」という励ましは嬉しいものです。どんな忙しい時期でも、月2回、コンスタントに記せたことだけは、自分で自分を褒めてやりたいと思います。

よく 特別なことがある時に 必要以上に頑張って、終われば ” 燃え尽き症候群 ” みたいになる方がいらっしゃいます。そのような 後先考えず進めていかれる方も 組織には必要ですが、住職という存在は 常に一定の力を出せるようにならねばと思っています。例えば永代供養で、ある年は一霊に2時間ほど回向をして、翌年は気乗りしないからやめる…なんてことがあれば嫌じゃないですか?(笑)。布施の額、参詣者人数、相性…そんなもので 力の入れ具合を変える昭憲を見たいでしょうか?(笑えません)。
「” 働く ” とは ” 傍(ハタ)の人を楽(ラク)させる ” ことである 」と修行時代に教えていただきました。その時の調子に合わせた熱量を 人に押しつけるのではなく、緩急や好不の波があっても、常に一定の力を出せるのが尊いことだと思います。ブログも 始めた時だけ頑張って、飽きたら何年も放置・・・よくあるパターンですが、そのようなところで信用が計れるのだと思います。

本日は クリスマスに因み、シスターの鈴木秀子さんのお言葉を拝借しましょう。 
「愛というのは、多くの場合、小さなことの積み重なりです。その人の気持ちを大事にしながら、気持ちを受け入れ、気持ちに添っていくこと。そうしながら、いちばんいい解決を目指して、解決につながる行動をとっていくというのが、ほんとうの愛の行為ではないでしょうか。愛というと「大好き」というような感情を伴うものと思うかも知れませんが、聖書には、「愛は感情とは関係なく、小さな行為で示されるものである」とあります。感情が生まれることが多いけれど、そうでない場合もたくさんあって、淡々と平凡なことをしていく中で、愛が通じ合うことがあるのです」(『「愛」は伝わっていますか』講談社)

日本に ” 愛 ” という概念が輸入された当時、 ” 親切 ” という言葉に訳されたそうです。好き嫌いや優劣という対立した感情の中にあるのが愛ではなく、淡々と平凡なことの中にある愛が誠であり、そっと寄り添うこと、話を聴くこと、想いを伝えること、信じること、微笑むこと・・・このような親切を大切にしたい思います。来年も淡々とブログが続けられればと存じます。では、よいお年を。合掌

住職は「倍返りお守り」に”初心にかえる”功徳を祈っています。

住職は「倍返りお守り」に”初心にカエル” 功徳を祈っています

カテゴリー: 未分類 | 淡々と はコメントを受け付けていません

「ワル」のススメ

昨日、毎日新聞の朝刊に私を取り上げて下さいました。新聞には幾度となく載せていただいてますが、個人を対象とした取材は いつまでたっても身が引きしまる思いがします。取材時に言われました。「住職の人生は 面白みに欠けますね。反抗期のエピソードや失敗談はありませんか?」。記者はユーモアのあるお方で、魅力を引き出したかったのだと思います。おじいちゃんおばあちゃんっ子だった私は、素直に育ちすぎて 記事にしづらいのかもしれません(笑)。

前回のブログ以降、人脈や組織に頼らず自己実現するには どうすればよいのか?という質問をよく受けます。人それぞれビジョンが違いますので 何ともお答えしづらいですが、何も世間に反抗する必要はないと思います。大きな失敗談も聞く分には楽しいですが、ないに越したことはありません。要は 限られたエネルギーの使い方が大切です。日々、どんな環境においても素直に学ぶ精神を持ち、「反省→感謝→報恩」を繰り返して 徳を積むのです。そして神仏や先祖を大切にすることで必ず導きがあります。これは ” 絶対の法則 ” です。さらにコツをあげるなら、人とは違うベクトル(方向性)をもって ピンポイントで精進すれば 結果が付きやすいと思います・・・つまんないですね~(笑)。そこで、心の師である松浪健四郎氏のお言葉を紹介しましょう。

「そこそこの大学、そこそこの会社にはいれたと満足していて、何がおもしろいのか。女にモテないとなにをウジウジ悩んでいるのか。やりたいことをやらない人生なんて、結局は会社や金、女の奴隷になって、一生を終わらせるだけじゃないか。男なら、もっと自分を輝かせる「ワル」になれ。「ワル」は、逆に会社も金も女も”手玉”にして、やりたいことをやる。かくいうオレが「ワル」の見本だ。オレは三流大学を出た”落ちこぼれ”だが、いまでは”ちょんまげヘア”の大学教授として、ちょっとした”有名人”にもなった。べつにへつらい努力をしたわけではない。他人とは違うオレのやりたいことに夢中になっただけだ。好きでやっているから楽しいし、ライバルが少ないからすぐにトップだ。どんなマイナーな分野でもトップになれば”東大エリート”なみの扱いを受けるから、女や金は向こうからやってきた。頭のよし悪しなんか関係ない。”みんなと同じ”ではなく、ちょっと違ったことをすれば、ビッグになる道はいくらでもある。それが「ワル」の生き方なんだ」(『もっと「ワル」になれ』 ゴマブックス)

記者は、こういう言葉を待っておられたのかも知れません(笑)。若かりし頃の私は、この「ワルの生き方」に 大きな影響を受けました。世間の価値観に流されず、群れずに我が道を進む。それも 人がしないことがよい・・・松浪氏の言葉は過激で 人を魅了しますが、でも結局、面白みがないと言われる 私の生き方に通じます。(女性にモテるモテないは別として・・・w)。何が成功か自己実現かは人それぞれですが、「ワル」の生き方はオススメです!。衣を着て こんな法話はしませんが・・・(笑)合掌   

松浪健四郎氏

ちょんまげヘアでおなじみの松浪健四郎氏


 

カテゴリー: 未分類 | 「ワル」のススメ はコメントを受け付けていません

自分らしく

「人生の分岐点」という言葉があります。人生を振り返えると、ああすればよかった、こうすればよかったと後悔することが多々あります。しかし、自分は自分でしかない訳で、いくら背伸びをしても、結局 ” 今の自分 ” にしかなれないんだとつくづく思います。私は昔から群れて行動することが苦手でした。秩序を乱す言動こそしませんが、学生時代や修行時代を振り返ると、なぜか組織に入ると個性が死に、全く面白みのない人間になってしまうのです。団体の中に居場所を見つけるのが苦手なタイプかもしれません。ですから 出家後は、他の僧侶と共に行動することはなく、独りコツコツと行動し、不器用な私が 世の中に いかに貢献できるかということだけを考えてきました。

このたび、地元の僧侶青年会から役員の依頼がありました。もちろん人望や能力ではなく年齢から回ってくるものです。本来ならばお受けをしてしかるべきですが、拠点の大半を県外に置き、奉職寺院、自坊、説教とガチッとした三角形を組んでしまい、それぞれ待っておられる方があります。その上、先代の体調不良が加わり、組内寺院や檀信徒との交流も増え、スケジュールが目一杯となり、継続をした責務はお断りをするしかありません。これは同世代の方々のペースに合わせず、ガラパゴス化したツケかもしれません。大げさな物言いかもしれませんが、今回のご依頼を断ると、今後、同世代の僧侶と疎遠になる可能性があり、またお受けすると自動的に役職が上がって行き、組織での関係が深まる分、待っておられる方にお断りせねばならないことは目に見えています。青年会は 私如きがいなくても成り立ちますが、これらの方々は私の代わりはありません・・・おそらく読者は、そんな難しく考えなくてもいいのに・・・と苦笑いされてることと存じます(笑)。しかし、このように 世間が一笑に付すソフトな悩みを聞いて(わかってあげたい)と思うのが私の個性であり、需要があるということは、これはこれで生かされている証だと思っています。

心理カウンセラー・スピリチュアルセラピストの野坂 礼子さんのお言葉です。
「自分を変えるということは、今の自分をゴミ箱に捨て、新しい自分をゲットすることではありません。スミレはスミレだからこそ、可憐ですてきなのです。タンポポは黄色の花で綿毛のような種が見事です。タンポポが「雑草は嫌、花屋で高く売れるバラがいい」といって、真っ赤なお化粧を始めたら、美しいでしょうか。スミレが、高い値段のランの花を真似して突っ張って生きたらどうでしょうか。花たちは比べないし、うらやまない、淡々とユリはユリ、サクラはサクラのまま生きています。天命を生きているからです。今のままの自分です。根っこ、つまり生き方を変えるということです。すると見事なバラやスミレ、サクラが咲き、種が実るのです。そのことが、あなたがあなたらしく幸せになる道です。どんな花もすてきです。あなたは、スミレ、ナズナ、カサブランカですか?その自分の個性を「ありがとう」で生かし天命を生きましょう」(『世界一簡単に幸せになれる「ありがとう」の魔法 』マキノ出版)

お立場によって賛否があると存じますが、おそらく同じ気持ち(自らの居場所)で悩んでらっしゃる方もあろうかと思い記しました。人間は 違う何かになろうとするよりも、今の自分をより自分らしく成長していくことが、天命を全うすることになるのだと思います。何年か後に このブログを読み返して、後悔するか、これでよったと胸を張れるかわかりませんが、自分に今できることをしていきたいと思います。もちろん 青年会をお守りされている方々があっての仏教界です。心より敬意を表します。陰ながらの支援は惜しみません。私は私で丁度良い。あなたはあなたで素晴らしいのです。合掌

仏花に一輪挿しはありません。様々は種類、色、大きさの花が一つになって”和”を表します。それぞれの個性を尊重し、仲良く生きることを象徴します。

仏花に一輪挿しはありません。 様々な種類、色、大きさの花が一つになって ”和”を表します。それぞれの個性を尊重し、仲良く生きることを象徴します。

カテゴリー: 未分類 | 自分らしく はコメントを受け付けていません

夕霧祭

観光の季節となりました。京都にある奉職寺院では、本日「夕霧祭」で賑わいました。この行事は 昭和35年、井筒八ッ橋本舗6代 津田佐兵衛 氏が 夕霧太夫(ゆうぎり たゆう)を偲び、生地であり、墓所に近い当山で 第一回の法要を営み、以来 今日まで続いている供養法要です。江戸時代に活躍した夕霧は、京都・島原の扇屋の太夫となり、のちに扇屋が大坂・新町に移転したため、大坂随一の艶名をうたわれました。しかし、延宝6年(1678)正月6日、わずか26才で花の生涯を閉じられます。姿が美しく、芸事に秀でた名姑でありましたので、「歌舞伎狂言」、「浄瑠璃」に劇化上演され、現在でも多くの人気を博している 伝説の太夫です。

今回で55回目の法要でしたが、毎年、島原から太夫が参列されます。京都市の無形文化遺産に指定された 花街の文化には、舞妓、芸妓、太夫がいらっしゃいます。おなじみの舞妓や芸妓は、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添えることを仕事とする女性の事をいいます。舞妓とは 芸妓になる前の未成年(15歳から20歳くらいまで)の少女。舞妓として約5年間修行した後、芸妓になります。一方、太夫は 京都の島原に籍を置く、芸妓の最高位に当たる方です。島原とは 元禄年間に最も栄えた江戸幕府公認の遊里で、かつては天皇に謁見できる官位が与えられていました。夕霧祭には、毎年 太夫が供養の舞を指され、私はいつも間近で拝見しています。役得です(笑)。

太夫道中が始まると 多くの見物人で賑わいます。

太夫道中が始まると 多くの見物人   で賑わいます。  写真は如月太夫

こういう文化に触れますと、 時間がゆったり流れていることを感じます。ある意味、昔の方はその場を楽しみ、贅沢な時間を送ってらっしゃったんだなぁ…と思います。しかし現代はどうでしょうか。観光に来られても、皆さんは口々に「急いでる!」「時間がない!」「早くして!」と効率ばかり求められます。紅葉の美しさもカメラのレンズを通してしか見ず、5分法話をしていても、心ここにあらず・・・もったいないことです。

アンドリュー マシューズ氏のお言葉です。
「どんな小さなことにも、必要なだけの時間をかける。急ぎ足の人生は願いさげだ。私たちが「充分な時間がない」と思いこんでいる限り、時間が足りるなんてことはない。だからエレベーターに駆け込み、電車に駆け込み、電話の合間にあわただしく昼食をすませる。何をするときでも、自分にこう言いきかせよう。「この手紙を書いているあいだは、(このシャツにアイロンをかけているあいだは、このダンベルをもちあげるあいだは)、いまやっていることに集中しよう。どうせかかる時間は大して変わらない。急ぐなんてごめんだ」(『自分らしく生きているかい?』 主婦の友社)

目の前ことに集中するために、必要な時間をかけるのです。すると 時間をかけた分だけ満足感に繋がりますし、自信をもてるようになると思います。慌ただしく行ったことは流れていき、時間をかけたことは 自分のものとなっていくことと存じます。” 観光 ” は、” 光を観る ” ことです。つまり、その土地の空気や御利益、人の温かさという ” 光 ” に触れることから来ています。ゆったりとした気持ちで、お詣りいただければ幸いです。合掌

平成9年11月9日に勤めた夕霧祭。導師のお付きが若かりし頃の住職です。この法要は初代と2代の夕霧太夫の供養の様子ですが、上方に2つの青い光が見えますか?供養が届いているように見えます。

平成9年11月9日の夕霧祭            導師のお付きが 若かりし頃の住職です。この法要は   初代と二代目の夕霧太夫を供養している様子ですが、  上方に2つの青い光が見えますでしょうか?お二方に 祈りが届いているようにも見えます。参列は若雲太夫

カテゴリー: 未分類 | 夕霧祭 はコメントを受け付けていません

晋山式

昨日、近江八幡市のご寺院の「晋山式」(しんざんしき)に招かれました。晋山式とは、” 山(寺)に晋(すすむ) ” と書くように、新住職が就任する際に行なわれる儀式のことです。私は6年前、西願寺に晋山させて頂きました。儀式の流れは、親鳥(おやどり)宅から檀信徒と共に「お練り」をし、門前での「開門式」。そして 本堂で御本尊と対面し、前住職から袈裟と過去帳を授かる「堂内式」。最後は 座敷で長老から 住職心得のご指導を受ける「書院式」と続きます。当時、檀信徒や有縁の皆様にお世話になった事、今も尚 しみじみとこみ上げてきます。生涯尽くしても 返しきれないご恩です。

このように記しますと、晴れやかな お祝いのように見えますが、先輩僧侶から 本来、厳しい儀式なのだと教えられたことを記憶しています。お寺は 今と違って世襲制ではありませんでした。本来、お練りは 初めて見る新住職に対し、どんな坊主なのか?!という村人への公開見物(さらし者)であり、本堂内の儀式は 随喜寺院から、実力をチェックされる場だと言われるのです。実際、私も ある住職より、目がキョロキョロせずによかったと 目線にまでチェックして下さったことには驚きました。やはり厳しい世界だと感じました。最近は 晋山式をされない寺院が増えていると聞きますが、今思うと このような儀式を勤めるのは とても大事だと思います。節目を作ることによって 檀家も住職も決意が変わるものと存じます。

「晋山式」 袈裟授与

「晋山式」 袈裟授与

宗教家・大川隆法氏のお言葉です。
「竹という植物を思い浮かべていただきたいと思うのです。竹の姿を見ていると「立派なものだな」と感じることがあります。みなさんは、節があって先になるほど細くなっていくという竹のスタイルを、単なるデザインとして何げなく思い浮かべるでしょうが、「あの節をつくっていく努力とは何だろうか」と私は考えるのです。竹の節は20センチか30センチぐらいの間隔です。しかし、どの竹も、その節の部分はカッチリとしています。根元からカッチリ、カッチリと伸びてきて、先のほうにいくほど、やわになり細くなって、風に揺れていますが、やわで風に揺れている部分も、時間が経つと、次第しだいに同じような節になっていくのです。そして、さらに大きな節になっていき、その上にもっと細く、先端が伸びていきます。あの竹という植物を見ていると、確実に確実に、節を固めて生長していくのがわかるのです。「ああ、大したものだな」と思います。10メートルになろうが、20メートルになろうが、竹が竹である理由、竹としての独自性を持っている理由は、あの節にあると私は思います。竹という植物は風に強く、いくら風が吹こうとも、そう簡単には折れないのです。やわであるけれども、単にやわなだけではないところは、いつも完全に勝ちつづけていることにあると思うのです。どれほど風が吹こうが、何があろうが、伸びつづけています。そして、自分が生長したという証拠を確実に刻み、それを私たちに見せてくれています。「これが私の生長した部分ですよ」というものを、はっきり見せてくれているのです。竹はその節をつくっていくときに、いったいどのような気持ちなのだろうか、と想像することがあります。一つひとつ節を積み重ねていくたびに、やはり、「これだけ自分は生長したのだ」という気持ちがあるのではないか、そこに充実感があるのではないかと私は思います」(『常勝思考』 幸福の科学出版)

時代は、節目に重きを置かない傾向にあります。冠婚葬祭、節句、祝日・・・自由を謳歌しすぎて 区切りが付けられないのが現代人ではないでしょうか。竹も人間と同じで、グーッと 楽して伸びていきたいのに、節を作らなくてはいけません。この時期は苦しいはずです。苦しいけれども、実際はその節の部分が 伸びていくための 大きな土台になっているはずです。物事には逆境がつきものですが、5年、10年、あるいは それ以上たった時に、その時が いちばん懐かしい時期として思い出されてくるのではないでしょうか。私は 苦しい時「いま節をつくっているのだ」という気持ちを持って、次への生長の道を歩んでいると 自らに言い聞かせています。竹のように節を作り続け、歳を重ねるごとに 強く、美しく、しなやかな人生を送りたいものです。今回、晋山式の随喜に当たり、6年前の節を思い出し、気持ちを新たにさせていただきました。合掌

嵯峨野の竹林ライトアップ

嵯峨野の竹林ライトアップ

カテゴリー: 未分類 | 晋山式 はコメントを受け付けていません

衣替え

10月は衣替えの季節です。僧侶の世界は ” 和服 ” が中心です。僧服は種類も限られてますので 暑さ寒さに関係なく、浄土宗では 一斉に6月1日から夏衣、10月1日から冬衣への衣替えと定められています。

昔の日本人の着衣は 晴着、普段着、仕事着の三つを用意していたと言います。このうち晴着と普段着が、上下が一つにつながったものを帯で結ぶという、いわゆる着物(和服)に相当するものですが、これらは作業をする時のものではありませんから、機能性はあまり重要ではありませんでした。一方、仕事着のほうは、機能性を重視して上下を分離し、上半身には腰までの丈の短い服、そして下半身にはズボン状の服(作務衣、もんぺ、袴)という組み合わせをしていました。

なぜ昔は 洋服のようなものが発明されなかったのでしょうか。その一つに素材の問題があります。Tシャツや短パン等の 身体に密着した衣類を作るには、容易に屈曲、伸縮する柔軟な素材が必要ですが、日本でこれが可能になったのは、江戸時代に入って木綿が大量に生産されるようになってからのことです。それまで絹は 庶民には手が届きませんでしたから、衣服の素材といえば 麻が主体の植物繊維が利用されていました。これらの素材は 肌に密着するには硬すぎますから、Tシャツや短パンのような衣類を作ることは困難でした。その代わり 仕事着が発明され、身体にまとわりつくようなこともなく、仕事着として適切であったと考えられます。

時代の流れと共に、服装も変化するんですね。” 温故知新 ” の精神で、古きものの良さが伝えていければと存じます。和服も堅苦しいものばかりでなく、和洋折衷に対応できる ” 粋 ” なものへと進化しています。人時所に合わせて着こなすと楽しいですよ。合掌

僧侶の晴着は やはり 法衣(ほうい)です。

僧侶の晴着は やはり 法衣(ほうえ)です。     袈裟衣は着脱ごとにお経を唱えて大事に扱います。

デニム着物。普段着に最適です!

おすすめのデニム着物。普段着に最適です!外出時は 型にはまらず、ハットやブーツ、インナーにパーカー なんかも面白いですよ。帯もストールで十分です。力を抜いて、家にあるもので合わせると気楽に楽しめます。

住職愛用、樹亜羅の作務衣。綿が心地よいです。

住職愛用、樹亜羅の作務衣。綿が心地よいです。   今や仕事着の域を超え、僧侶や板前さんだけのもの  ではなくなりました。よそ行き用でも大丈夫です。

カテゴリー: 未分類 | 衣替え はコメントを受け付けていません