粋な人

今月28日で、いよいよ40歳になります。ここまで育てて頂いた両親、先祖、有縁の方々に 心より御礼申し上げます。『 論語 』 に 「 四十にして惑わず 」 とあります。人は40歳になれば、人生の方向が定まって迷わなくなるといいます。僧侶として、さらに深みのある40代にしたいと思います。人生60年までの 重要な10年間と考えます。

思えば20代は 「 信仰 」 をテーマに全力で駆け抜けました。質素倹約に努め、20代最後に 10年間貯めた全財産を 世のために寄付したのは よい思い出です。
30代は 「 布教活動 」を全力でなしました。組織に属さず、自らの持ち味を生かし、唯一のジャンルを築けたことは 私の誇りです。
では40代は・・・「 粋 」な生き方がしたいです。粋とは、” 気質・態度・身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気があること ” とあります。つまり、粋になるには 言動だけでなく、色気も必要になるわけです。それは 内面から湧き出るオーラや余裕のようなものだと思います。色気には、様々な意味がありますが、一つに ” おもしろみ ” とあります。40代は ここを磨こうと思うのです。

昨年末、お寺を離れた忘年会に伺いました。プライベートでは学生以来です。一般の方と酒を酌み交わし、どんな話ができるのかと楽しみに出かけたのですが・・・そこで痛感したのは、僧侶でない私に 魅力がないことでした(汗) 。私は役柄、悲しい場面に対面する事が多く、人に楽しんでる姿を見せてはいけないと、どこか人生を我慢していたのだと思います。そこが 人間としての ” おもしろみ ” を奪っていたのかもしれません。世間の人は そんな気遣いを望んでらっしゃらないことがわかりました。

もちろん 根本の精神が変わる訳ではありません。しかし 40代は「 粋な生き方 」・・・つまり ” 楽しいことに全力 ” になって、来たる50代には ” 粋な人 ” として新たな伝道できればと思います。これも修行です(笑)。媚びるのではなく、老若男女国籍を問わず、自然と人が寄ってくるようになれればと存じます。良寛さんのように 遊びが悟りになれれば嬉しいです。合掌

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未年の心構え

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。平成27年の未年となりました。動物に当てはめると羊の年になります。

羊は群れをなして行動するため、国家の平和、家族安泰をもたらす縁起物とされます。胃袋を4つ持ち、食物を何度も噛み直して 健全な体を作り、乳や羊毛を、また皮や肉や骨、命までも捧げ提供し、社会に貢献します。

つまり、羊は ” 陰徳(いんとく)の動物 ” です。陰徳とは 人知れずよいことを行うこと。仏教は この行為を大切にします。ことわざに 「 陰徳あれば 必ず陽報あり 」 とありますが、「 人知れず良い行いをする者には、必ず良い報いが現れること 」 を信じるのです。これが大事だと 羊は教えてくれます。世間では 得することばかりを考える情報にあふれていますが、結局 その中から何が大事なのかということを 今一度、咀嚼する年なのだと思います。

また、未は「いまだ」とも読めますが、今が完成ではないとを自覚する年でもあります。自分に足りないものを見直してみましょう。羊のように陰徳を大きく積めば、(羊が大きいと書いて) ” 美 ” という漢字になります。特に今年は 謙虚な心で、羊のように、おだやかな、美しい心で過ごしたいものです。皆様にとって、良い年になることを祈念して、正月の挨拶に代えさせていただきます。合掌

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オンリー・ワン

本年 最後のブログです。今年も 多くのご縁をいただきました。かけがえのない人との出会いや別れがあり、様々なお陰を感じた一年でした。そのような中、自分は何ができるのかと いつも考えます。人生は ” 恩返しの旅 ” なのかもしれません。その過程で、人は 喜び、ぶつかり、怒り、笑い、悲しみ、葛藤・・・色々な体験をします。人間関係に苦しみながら、されど独りでは生きられません。矛盾に満ちた世で、魂は成長してゆくのです。

世の中に恩返しをするには、自らの特性を見極めることから始まります。つまり、自分にしかない能力や個性を見つけることです。 ” オンリー・ワン ” と よく言いますが、これは結果平等の言葉でなく、自分には何ができるのかを考える前向きな言葉です。活躍の場は与えられるのではなく、自らが探さなくてはなりません。それが、オンリー・ワンの考え方です。近藤裕先生の言葉を見てみましょう。

「ナンバー・ワンになるには、ナンバー・ツーが必要だ。自分がナンバー・ワンになるには、競争相手を負かさねばならない。また、ナンバー・ワンになってからは、ナンバー・ワンを維持するために、追い越されないようにいつも気を遣っていなければならない。一方、自分にしかない能力や個性を伸ばし、1つのことの達人になることに専念するという生き方がある。それが、オンリー・ワンになる生き方である。オンリー・ワン(何かの達人)はひとりだけとは限らない。何人もいるかもしれない。あるいは自分一人だけであるかもしれない。それが結果的にナンバー・ワンになっているということもある。結果的にナンバー・ワンになるかどうかはともかく、大事なのは自分にとって満足のゆく人生を送ることではないか。そうすれば、オンリー・ワンになるための過程において充実した日々を過ごし、また、つねに輝いて生きることができるのではないか」(『人生をもっと楽しんで生きられる心理学』 三笠書房)

来年も 世の中のために、自分は一体何が出きるのかを考えていきたいと思います。どのようなご縁があるのか楽しみです。皆様、よいお年をお迎え下さい。合掌

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すべてに無駄なし

紅葉も一段落し、師走となりました。先日までの観光客の賑わいも 嘘のように 静かです。それほど 紅葉は人の心を魅了するのだと思います。紅葉は 樹木が冬じたくをしている姿といいます。葉を落とすために、秋になって気温が下がりだすと 糖分や水分などの供給を止めます。すると、葉の中に残った糖分によって色素が目立ってくるので、イチョウは黄色、カエデなら赤の紅葉 になるのです。

紅葉が終わると、人は樹木に見向きもしなくなりますが、植物にとっては目標達成の瞬間です。散り紅葉は 決して ” 虚しさの象徴 ” ではありません。日本には春夏秋冬があり、生物は冬を乗り越える知恵をめぐらしています。物言わぬ植物でさえ、このような生々流転をくり返し生きているのだと思うと、感慨深いものがあります。

アンドリュー ・マシューズの言葉です。「この地球上においては、何事もスムーズな直線では進まないということです。時に歩みを止め、時に逆行しながら進んでいくのです。潮が満ちてくる時、それは引いては返しながら、少しずつ進んでいきます。木の成長過程では、季節によって葉を落としながら、そのたびに少しずつ縦に大きく伸びていきます。葉を失い、自然と戦いながら、木は大きく成長するのです。ですから地球上の自然現象においては、後戻りするように見えることも、実は成長過程の1つの段階なのです」 (『人生の愉しみと成功 5つの決心』三笠書房)

今年一年、順調だった方、逆境続きの方、様々おられると存じます。しかし、この言葉より、目に見えた右肩上がりの人生はなく、逆に困難の時にこそ、明るい未来への準備期間ということがわかります。すべての出来事に無駄はありません。すべてが成長の糧だと捉えれば、さらに有意義な人生が歩めるのではないでしょうか。合掌

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チャンス

先週は琵琶説教で、様々な寺院を回らせていただきました。山口県で3ヶ寺、和歌山県、福井県と 移動続きの5日間で、8席の布教でした。各お寺さまには あたたかいお心遣いを頂いたこと、心より御礼申し上げます。

ただ今回は 1カ所での説教ではありませんので、毎日が初対面の方々となります。その場の雰囲気をつかむのにすごいエネルギーを使い、口の中がカラカラになりました。また 説教の時だけではありません。お給仕の際も、各所で真剣な質問をして下さるのです。一番多かったのは、琵琶を説教に取り入れようとした理由。つまり、” 新しいことを成す秘訣 ” をよく聞かれました。色々な談話をしましたが、最終的に「今、持ってる自分をどう活かすか」が大切だと、互いの結論に至りました。本当に有意義な布教の旅でした。

作家の中谷 彰宏氏は、こう述べてらっしゃいます。「どうしたらチャンスを手に入れることができますか」と質問する人は、いつも「今度チャンスが来たら」と考えています。頭の中は、常に次のチャンスの方を見ているのです。今、目の前や手の中にあるチャンスもあります。「どうしたら次のチャンスを手に入れることができますか」ではなく、大切なのは、今、持っているチャンスをどう活かすかです。「次をどうしたらいいですか」と言う人は、いざという時、目の前に来たチャンスを活かせません。目の前を全然見ないで、次ばかりを見ているからです。今している仕事があるなら、今の仕事でつかむチャンスを考えることです。仕事が変われば別のチャンスがつかめるとは考えないことです。今、関わっていることでチャンスを活かす方法を考えればいいのです。(『 チャンスは目の前にある 』ベストセラーズ)

その通りだと思います。特に僧侶が 一般の方の需要にお答えできるとすれば、” 真心 ” しかないと思うのです。それを勘違いして、新しいものを取り入れることばかりを考えているのは 本末転倒です。私自身、つかみ損なったチャンスは山ほどあります。しかし、今できることを懸命にしているだけで、それ以上でもそれ以下でもないと思っています。巷では自己啓発本が出まわっていますが、魔法のような解決法はありません。最終的には、「今、持ってる自分をどう活かすか」「脚下照顧」に帰結するものと存じます。合掌

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根気と決意

現在、NHK連続ドラマ小説で「マッサン」が、好評 放映中です。毎朝、楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。日本でのウイスキー作りに生涯を捧げたマッサンこと亀山政春と 妻 エリーの二人三脚の物語で、ふたりは 行く手にどんな困難が立ちふさがろうとも決して諦めることなく、ひたむきに夢を追い続けます。大正時代には珍しい国際結婚で、価値観が異なる若夫婦が ” 根気と決意 ” で歩んでいく姿に胸を打ちます。

平成の若者とは対照的です。近年は 大学を卒業して 会社に就職した三分の一が、3年以内に会社を辞めているという調査結果があります。やむを得ない事情で辞める人、起業や独立、希望する転職先からの引き抜きなど、理由は様々だと思いますが、三分の一(十数万人)という数の多さは、若者の「打たれ弱さ」や「根気のなさ」を表しているのでは?!という声もあります。

” 青い鳥症候群 ” という言葉はご存じでしょうか。これは「自分が心から満足できる職場が他にあるはず」「自分の能力や才能を最大限に発揮できる仕事が他にあるはず」と、理想の仕事を求めて転職をくり返す人の心理状態を言いいます。メーテルリンクの童話『 青い鳥 』の中に出てくるチルチルとミチルが、自宅で飼っている鳥には目もくれず、幸福の青い鳥を外に探し求め 追い続けたように  ” 青い鳥症候群 ” の人は、まだ出会っていない仕事の中に、見果てぬ理想を追い続けるのだそうです。

アメリカのジャック・フォスター氏は、『 アイデアのヒント 』(阪急コミュニケーションズ)に次のように述べられています。「 肝心なのは「 根気 」だ。才能じゃない。才能があって成功しない人はうようよいる。金じゃない。金持ちに生まれて、貧しいなかで死ぬ人はたくさんいる。天才じゃない。天才が報われないのは、ほとんど常識だ。教育じゃない。世の中には学のある落伍者があふれている。運じゃない。運命の気まぐれは何人もの王の命を奪ってきた。根気と決意だけがすべての道を拓く 」

もちろん、才能や財産、教育や運も大切ですが、幸福は外からやってくるものではありません。なぜなら外の世界は、己の内から現れる現象に過ぎないからです。まず、内面から湧き出る ” 根気と決意 ” ・・・ここからすべてが始まるのです。「 幸せの青い鳥 は、心の中に住んでいるんだよ。頑張れ! 」こんなことを思いながら、これからもマッサンとエリーを応援していきたいと思います。合掌

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青年と老人の違い

先日、浄土宗・滋賀教区 青年会会長より、青年僧に向けての講演を頼まれました。会長は修行時代の同期で、共に30代最後の年となります。「お互い そんな立場の年齢になるのか・・・」と昔話に花咲きました。 浄土宗では 宗祖・法然上人が43歳で南無阿弥陀仏をお悟りになったことから、その年までが青年僧と呼ばれます。

考えてみれば、一般社会には 青年と老人の境目が明確ではありません。もちろん 会社の定年や、社会保障のために区切ることはありますが、人間として分けるのは不可能です。還暦の方にお年寄り。75歳の方に後期高齢者とは とても言えません(笑)。ある言葉を見付けました。 「 青年と老人の違いは年齢ではない。見つめる方向(目的)によって青年か老人かが決まる。すなわち、将来に希望を抱く者、前を向いて生きる者が青年であり、過去の栄光を引きずって生きる者、後ろを向いて生きる者を老人という 」

前回のブログと合致します。年齢による 体の老いは 仕方ありませんが、 ” 目的意識 ” を持って 心 は充実したいものです。そのために ” 出会いを大切にせよ ” と申しましたが、最高の縁は ” 仏縁 ” です。仏教との出会いによって ” 人生の目的 ” が教えられるのです。生の目的とは ” 後生の一大事 ” を知ること。つまり、死後の行き先(救われ方)を明確にすることです。これさえ腑に落とせば、自らに降りかかる 様々な苦難災難に翻弄されることはありません。なぜなら この世の地位や名誉、財産に関係なく、最期は必ず救われるからです。その ” 目的 ” を持って生きることが信仰です。

若年でも人生の目的を求めていない者は、もはや ” 老人 ” です。なぜなら、いずれ迎える死を顧みない 後ろ向きの人生 だからです。やはり真理は 若いうちから味わい、ブルー(青年)やシルバー(老人)を超越した、ゴールド(仏)の境地になりたいものです。極楽に生まれた者は、人生で最も輝いていた頃(人生の目的を悟った頃)の姿になるともいいます・・・そう考えると 皆さん、真理獲得は 急いだ方がいいのです。仏教を取りますか? アンチエージングをとりますか? 早くに 人生の目的を悟れば、 ” 永遠の若大将(美女) ” でいられますよ(笑)。合掌

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目的意識

” 暑さ寒さも彼岸まで ” というように、過ごしやすい気候になってきました。これからの行楽シーズンには 様々な行事があり、僧侶は休む間もなく、布教活動に明け暮れます。周りは 過密なスケジュール を心配して下さいますが、私は ” 目的 ” を鮮明にして、前へ進むように心がけています。

こんな話があります。動物園の動物とサーカスの動物を比較すると、サーカスの動物の方が強くて 長生きするそうです。サーカスの動物は、より強いストレスを受けているわけですが、そのストレスはマイナスではなく、プラスに作用しているというのです。つまり、サーカスの動物は ” 目的 ” を与えられています。人間によって与えられた ” 目的 ” であるにせよ、目的を持つことによってストレスに耐えることができ、それが強くて長生きする原因になっているというのです。

たとえば、厳しい寒さの中に滝に打たれたり、水をかぶって行をしたりする修行がありますが、進んで修行する人にとっては、それが心身の鍛練となります。しかし、イヤイヤ 滝に入ったりしたら、とたんに風邪をひいてしまいます。一般社会でも同じです。目的を持っていれば、辛いことも、先輩のお叱りもプラスになります。

現代は「 ストレス = 悪 」 という言葉が蔓延していますが、それが逃げ控除になっていては、すべてがマイナスに働いてしまいます。何事も ” させていただく ” という意識が、ストレスをプラスに転ずるのです。まず 与えられた出会いに感謝しましょう。それが立派な ” 目的意識 ” となるのです。引きこもるのではなく、一歩 踏み出す勇気あれば 意外となんとかなるものです。昔、アグレッシブな先輩が「 病気は仕事をしながら治す !」 と仰ってましたが、目的意識 があれば これぐらいの大胆さがあっていいのかもしれません(笑)合掌

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憧れの師

今月4日、琵琶をご指導いただいてた先生が往生されました。所属の師匠ではなく、個人的にお願いしていたお方です。10年程前、琵琶の方向性に悩んでいた私は、先生の『耳なし芳一』のテープに感銘を受け、居ても立ってもおられず稽古場に押しかけたのが出逢いでした。所属の関係で 稽古は断り続けられましたが、連絡を取り合ううちに 心やすくなり、昨年8月から丸一年、ご指導いただけるようになったのです。先生は86才の女性でしたので、10年越しの恋愛成就といったところでしょうか(笑)。

一年前にお電話で、「 残された時間、私に教えられるものは教えておきたいんや」と、先生の方からご連絡をいただいたのです。まさかのお誘いに、職場から高速道路を使って2時間の長距離を喜んで向ったことを 昨日のように覚えています。一年間続けられたのは、芸もさることながら、聡明な、気品のある人間像に惹かれた部分も大きかったと思います。最後に伺ったのは7月31日。いつもと変わらない熱心な稽古でした。「 来月はお盆の行事があり、後半に伺えれば・・・ 」と日にちを決めず失礼しましたが、疲れもあり8月は休んでしまいました。そして、8月31日晩に 次回の稽古の約束をしたのが最期の会話で、翌日9月1日晩にお倒れになり 往生されたのです。今思えば、8月の稽古を休んだのが とても悔やまれます。

書家の 相田みつを氏が、次のような お言葉を述べてらっしゃいす。                                     「そのうち お金がたまったら そのうち 家でも建てたら そのうち 子供が手を放れたら                         そのうち 仕事が落ちついたら そのうち 時間のゆとりができたら そのうち・・・そのうち・・・そのうち・・・と できない理由を くりかしているうちに 結局は何もやらなかった 空しい人生の幕がおりて 頭の上に 淋しい墓標が立つ そのうちそのうち 日が暮れる いまきたこの道かえれない」

このお言葉が身に染みます。人は、そのうち・・・そのうち・・・そのうち・・・と「 できない理由 」をさがして怠惰の方向へ行きがちですが、まず「 できる可能性 」をさがすことが大切ではないでしょうか。今回のご縁は「 できる可能性 」を必死にさがした結果が、この一年に繋がったんだと確信します。急なお隠れで、今も心にポッカリ穴があいてますが、幸い 次の稽古を約束してのお別れでした。これには きっと意味があるはずです。次に逢うまでの課題を与えられたのだと思います。私の人生もいつまで続くかわかりませんが、もう「 できない理由 」を雄弁に語っている暇はありません。もっともっともっと研鑽を積んで、来世の極楽では「よう、稽古しゃはったな」と微笑んでいただけるよう精進します。先生は 私の ” 憧れの師 ” でした。ご指導いただいたことを噛みしめ、先生に少しでも近づけるように頑張ります。南無阿弥陀仏

 

本日、先生の中陰棚に お詣りすることができました。胸のつかえが取れた気持ちです。極楽浄土での再会をお約束しました。また会える・・・やはり、お念仏の教えはありがたいものです。

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人を引き寄せる力

先日、西願寺で地蔵盆を勤めました。今年は おつとめ・法話の後に、大道芸をされる方をお招きして披露いただきました。若い方でしたが、汗をかきながら懸命にされるお姿に、子供たちは目を輝かせていました。やはり、生の緊張感や息づかい、そして迫力。これが人を惹きつける醍醐味ではないでしょうか。

それは 大勢の子供たちが遊んでいる風景を観察していれば わかります。その中に、人を引き寄せる子が 必ず現れるのです。それはどんな子かというと・・・ ” 楽しそうに遊んでいる子 ”、” 夢中になって遊んでいる子 ”、” 思いっきり本気で遊んでいる子 ”です。本気で楽しんでる人の周りには、楽しくさせてくれそうな気配があります。その空気を、子供たちは敏感に感じとっているのだと思います。

最近は、どの地域も 地蔵盆に子供が集まらないと聞きます。その要因の一つに、地蔵盆 本来の精神をなくしていることがあげられると思います。見守り下さるお地蔵さまに感謝を捧げるのがこの行事で、それを ただのお楽しみ会 にしてしまうから、大人も子供も戸惑うのではないでしょうか。要は 本質をどれだけ 本気で楽しめるかです。「子供には難しいことはわからない。面白いことをすれば喜ぶだろう」という安易な発想では、心は通いません。現代の人間観は、人の幸不幸は ” 体の外 ” から来るものと信じられますが、仏教では ” 心の中 ” にあると断言します。” 人を引き寄せる力 ” で申すならば、本気で楽しむ心 が 大事になってくるのです。

現代は、世代を超えて 集まる環境が少なくなりました。このような時代だからこそ、地蔵盆という行事が  ” 心の教え ” を真剣に語れる場になることを願います。インターネットや本等の 好きなものを選んで得る知識 では、成長や感動の幅が少ないのではないでしょうか。やはり、人と腹を割って話すことが大切です。お寺には利害関係がありません。参拝の老若男女が、夢中に、本気で、楽しく真理を話せる空気が、西願寺に醸し出せるようになるのが住職の夢です。合掌

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