葵祭

明日は「葵祭」です。京都三大祭(祇園祭・時代祭)のひとつで、平安時代以前から続いています。6世紀の中頃、凶作に見舞われ飢饉疫病が続いた時、賀茂神の祟りを鎮める為、4月吉日に五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられています。私も一度拝見しましたが、平安時代の装束をつけた総勢500人以上が行列で進む姿は、まるで大絵巻のようでした。

色々調べておりますと、インターネット上にこんな書き込みがありました。

gigazineニュースには「昨年(平成20年)まで牛を提供してきた所有者が死亡し、牛車を引いた牛が人手に渡った上、牛飼育農家の激減と調教者の後継者不足に陥り、今回はなんとかしのげたものの、葵祭自体が岐路に立たされるほどの事態だったそうです。「牛車を引くことは難しくないが、音に驚いて進まない。音に慣らすことが重要です」とのこと。ぱっと見ているだけだとただ単純にノロノロと進んでいるだけに見えるのですが、その裏ではあれこれと苦労があるようです。」

また京都市観光協会の案内には「応仁の乱(1467ー77)ののち、1693年(元禄6)まで約200年の間、1871年(明治4)から1883年(明治16)まで、1943年(昭和18)から1952年(昭和27)まで、中断や行列の中止があった。しかし王朝の伝統は忠実に守られてきた。」

何も携わらず見ている者にとっては、のどかな祭りのように感じますが、長い歴史の陰で様々な苦労があるのだと思いました。冒頭にも紹介しましたが「葵祭」の発祥は、当時激しい権力争いや飢饉に見舞われるといった 不安定な世の中にあって、国家の安寧を神に祈り、人々の生活を救いたいという思いで成されたものであります。この祭りを通じて、世の中が少しでも善くなってほしいと伝統を守って来られた方々の思いは、並々ならぬものだと存じます。古代からの先人の想いや努力、地道な積み重ねとたゆまぬ探求心が、この祭りを存続させているのだと思います。

奉職寺院の檀家に「岩田呉服店」さまがいらっしゃいますが、先代様がCMで仰ってた「伝統と信用の積み重ね」というお言葉を思い出しました。今は何でも使い捨ての時代ですが、これらは現代人が忘れかけてることかもしれません。改めて伝統行事の奥深さを感じました。合掌

 

 

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母の日

明日は「母の日」です。日頃の感謝を込めて、母親にカーネーションなどの贈り物をする日であります。この由来は、20世紀始めアメリカのアンナという女性が、母の命日に教会で白いカーネーションを霊前に供えて母親を偲んだことが始まりともいわれています。この花言葉は「亡き母を偲ぶ」という意味を持つようで、存命でしたら赤いカーネーションを贈ると花屋さんに教えて頂きました。

佛教には『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』というお経があり、様々な親の恩が説かれています。その中の一つに、子供が生まれる時、母が大変な苦しみに耐えて産んでくださったご恩「臨生受苦の恩(りんしょうじゅくのおん)」が説かれています。以下は『とどろき』から学んだことですが、月満ちて陣痛が起こり、子供が生まれる時の苦しみは、青竹を握らせると二つに押し割るほど激しいといい、あぶら汗が流れ、全身がばらばらになるような痛みに耐えて出産する…まさに戦場に臨むような決死の覚悟が必要なので「陣」痛といわれるようです。

そのことから、水戸黄門として有名な水戸光圀公は、自分の誕生日には最も粗末な食事をされたと云われます。「誕生日は、この世に生まれた祝うべき日であるかも知れない。しかし、この日こそ、自分が亡き母上を最も苦しめた日なのだ。それを思うと、珍味ずくめでお祝いなどする気にどうしてもなれぬ。母上を思い、母上のご苦労を思えば、自分はせめて一年中でこの日だけでも粗末な料理で母上のご恩を感謝してみたい」と。

私達が今、幸せに過ごせるのは、母が激しい痛みに耐え、命懸けで産んでくださったからであります。「母の日」は、日頃の感謝を捧げる大切な日ですが、単に「物を贈る日」として形骸化してしまってはもったいないと思います。『父母恩重経』に説かれるような「根元のご恩」を知ることも大事だと思いました。そこから「命の大切さ」や「お陰」という、人間にとって大事なことを学べる日になるのだと思います。合掌

 

最後に古歌には、次のように詠まれていますのでご紹介します。

「諸人(もろびと)よ 思い知れかし 己(おの)が身の 誕生の日は 母苦難の日」

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こどもの日

「三つ子の魂百まで」という諺(ことわざ)があります。幼い頃に身につけたものは生涯ついて回るという意味ですが、幼少期の躾(しつけ)は人の一生を決定すると言います。

教育者の川内時男先生はこう仰ってます。「子供を躾けるために絶対に欠かせないものがある。それは”強くて恐ろしいものの存在”である。子供の躾というものは理屈ではない。自分より強くて怖い者が存在し、その強くて怖い者から与えられる恐怖心があってはじめて躾が可能である」と。

私はお爺ちゃんお婆ちゃんっ子で、大正生まれの祖父母は、「強くて恐ろしい存在」を引合いに教育してくれた気がします。例えば「嘘をつけば閻魔さんに舌を抜かれる」とか、「深い池は河童が住んでいて、引きずりこまれるから近寄ってはいけない」「深い山に入っていけば山姥に食われる」「雷が鳴れば、雷神にヘソを取られないように家に入れ」等々、今から思うと子供だましのように思いますが、面白いことに幼少期に刷り込まれた恐怖体験というものは、成長してからでも深層心理に残っているから不思議です。

本日はこどもの日。丁度、西願寺には「地獄絵図」が2幅ありますので、一般公開して子供達に「勧善懲悪」を教えました。効果は覿面で、こちらが驚くほどでした(笑)考えてみますと、一般の家庭には「強くて恐ろしい存在」が無くなったような気がします。近い将来、この地獄絵図を見に来る親子で本堂が一杯になればと思いました。よい子になるよう宗教教育しますよ!(笑) 次回は8月、お盆の時期に公開致します。合掌

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八十八夜

昨日、静岡の信徒様から新茶を頂戴しました。5月1日は八十八夜でしたので「一番茶」を頂いた事になります。この時期のお茶は、1年通じての肥料や養分を吸収している為、香りも高く味も1番美味しいとされるようです。牧田様、今年も有難う御座居ました。「八十八夜」とは、立春から八十八日目を指し、春から夏へと移る季節の境目のことで、特に農業にとっては、作物の生長において大切な目安の日となります。

学生時代、この時期になると恩師が必ず仰ってました。「八十八をまとめると米になります。これは、お米が実るまでに八十八回も手をかけるからこの字になったのです。この目に見えないお陰に感謝しましょう。では、いただきます!」と。しかし、現代は勝手が違うようです。ある説教師様からお聞きしたのですが、ある小学校で、「給食費を払っているのだから、子供にいただきますなんて言わせないでくれ!」と苦情をした親がいるとのこと。これが事実なら、その方の価値観が「お陰」ではなく、「お金」になってるということです。

「権利」を尊重することが重要であることは言うまでもありません。世界を見ても、権利を奪われ、抑圧されている人は少なくありません。しかし「権利」には必ず「義務」が伴います。ある人権学習の講師も、「現代は”自分のしたいことができるのが権利だ”という間違った考えが広がっており、製造者や商店、あるいは学校や病院などで苦情を言い、不当な要求をする人が増えている。このような権利の主張は良くない。これでは本当の人権学習が進まない。」と嘆いてらっしゃいました。(私も人権学習会の講師としてお招き受けることがありますが、本当に学習されてる方は、真の人権を教えて下さいます)

最近は東日本大震災の教訓から「絆」の重要性をよく耳にします。しかし、これも間違った権利のみを強調していけば、夫と妻、親と子など家族の関係性が希薄化し、本当の「絆」は生まれません。とりわけ、このような環境下で育った子供は、親への感謝の心は育ちにくく、自己の不遇や不満の対象を、親や社会に向けていく可能性があります。また、自己中心の利己主義が増えれば、自分が人の為に役立とうとする意識も欠落し、感謝や思いやりどころか、決まりや礼儀作法、法律までも無視する社会が出来てしまいます。

今の日本に必要なのは、間違った権利意識の拡大ではなく、宗教心や道徳心の涵養であると思います。目に見えないお陰の心を養う…小学生時代の恩師に教えてもらった「八十八夜の教え」を思いだし、自省を込めて綴りました。合掌

 

 

 

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楽しさと厳しさ

最近、子供にまつわる事件事故が多発しています。昔の子供について、渡辺京二著『逝きし世の面影』には、江戸末期に日本にやってきた外国人が日本の子供達の様子を見て「世界中で両親を敬愛し、老年者を敬愛すること、日本の子供にしくものはない」「日本の子供ほど行儀良く親切な子はいない」「日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子供に尽くす母親はいない」と評しておられます。

親学の第一人者である高橋史朗氏は、かつて日本の子供は、世界一幸せで、世界一礼儀正しかった。今は、世界一孤独で、世界一礼儀の悪い子が溢れている。それは親が変わってしまったからだ。親は子供の鏡。親が子供の手本でなくなった。これが子供が変わった理由であると述べておられます。

確かに子供は憧れる対象を欲しがります。他の動物も群れの中で生きるため、親の行動を観察するのと同じで、子供に良い手本を見せるか否によって、今後の生き方が大きく左右されるのかもしれません。

横浜高校野球部の渡辺元信監督が「子供の自主性は楽しさから生まれる、楽しさは厳しさから生まれる」と仰っていたのを記憶しています。自主性は、何も教育しないで、お前は自由にやれとということから生まれるのではない。野球部では千本ノックから始め、それを乗り越えて楽しさ、自主性が生まれるのだと。

現代はどちらかと言えば「どう生きるかは子供の意志に委ねる」という風潮がありますが、しかしそれは「子供が自分の意志で決定できる素養を身につけている」というのが前提なのかもしれません。子供達には良い手本を与えることを心がけ、そして何より私達大人自身が、子供達の良い手本となるように努めなければなりません。そのためには「楽しさ」と「厳しさ」が両輪となると教わりましたが、特に「愛のある厳しさ」を与えるためには、大人がしっかりとした器を持たなくてはいけません。それと同時に、教育は個人でするのは限界があり、家族やご近所、地域、郷土、国家が一丸となって成すべきだということも学びました。合掌

 

 

 

 

 

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穀雨

先日の暦は「穀雨」でした。「穀雨」とは「雨が降って百穀を潤す」という意味からきている言葉で、この時期はやわらかい春雨が降る日が多くなります。

この穀雨で、嵯峨嵐山にある奉職寺院の桜は全て散りました。今年も綺麗な花を咲かせてくれたことに感謝をしつつ、境内の掃除をしておりましたら、志村ふくみ様がお詣りに来られました。志村先生は 染織家として永年に渡りご活躍され、重要無形文化財保持者(人間国宝)であられます。同じ近江八幡の出身ということもあり、法事にお伺いした際には、洋子先生と共に親しくお話させていただいてます。

そんな志村先生から教わったことですが、まだ粉雪の舞う頃の桜の「枝」を煮出して染めると、ほんのりした樺桜(かばざくら)のような桜色が出る。しかし、綺麗な桜の花の「花弁」を集めて染めても、灰色がかった薄緑色になってしまうそうです。

私はてっきり、美しい桜色に染まった糸の着物は、桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだと思っていました。しかし実際には、桜の「皮」から取り出したとのことで驚きでした。桜の花が咲く直前、あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮から、得も言われぬ桜色がとれるそうです。

咲いた花見て 喜ぶならば  咲かせた根元の 恩を知れ

私の大好きな言葉ですが、これは真理だと思います。

今、花咲いている(生かされている)者は、樹木全体(周りの支援)や根元(ご先祖様)のお陰を知るべしだと…そのことを知らずに、全てが自分の手柄だと思い、先人の遺産を食いつぶすようではいけないという戒めですね。

落ちた桜の花びらを掃除しつつ、そんなことを思いました。 合掌

と、ここまで記した時に、女優の鶴田真由さんがお詣り下さったのでご案内して来ました。憧れの方にお出会いでき嬉しかったです。

お聞きすると、志村ふくみさんとの対談の帰りだということでした。凄いご縁ですね!(笑)

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十三詣り

今年も十三詣りの季節がやって来ました。土曜日ということもあり、渡月橋では多くの子供達が着物を着せてもらい歩いています。頬笑ましい光景でした。

十三詣りとは、数え年13歳(厄年)した男女が厄難を払い、智慧を授けて下さるように虚空像菩薩を参拝する行事です。13歳は十二の干支が一巡し、自分の干支に初めての年で、子供から大人へ成長する時期なんですね。同じ子供を祝う行事でも、関東では七五三の方が盛んだと聞きました。どちらにせよ人生の節目を祝う行事は大切だと思います。

しかし現代は、別の意味での「七五三」が問題になっているようです。それは若者の早期離職率です。就職三年以内に、中学卒では約7割、高校卒では約5割、大学卒では3割余りが離職しているとのこと。この問題の原因は、様々な要因が考えれますが、ある方は、若者にプレッシャーやストレスを与えないよう、大人や社会が様々な配慮を積み重ねてきた結果だと指摘されていました。徒競走で全員が手をつないでゴールインするとか、通知簿で5や1をつけないなど競争を否定し、結果平等的な考えが蔓延しているからだとおっしゃるのです。これが早期離職に繋がるのはにわかに信じ難いですが…確かに、現実の社会は結果がすべてです。学生時代は言い逃れや言い訳が通用しますが、社会では通用しません。さらには、非合理や理不尽と思えることが沢山あります。残念ながらそれが人間社会です。そう言った意味で、過保護にされ、大きな挫折を知ることなく育ち、社会に巣立っていった若者が、現実の社会に落胆して離職するのは一理あると思いました。

考えてみれば、佛教の開祖であるお釈迦様も、法然上人であっても、その他の祖師方であっても、若い頃の挫折を翻して、我々に真理のみ光を与えて下さる存在になられたのです。佛教は「因果応報」という言葉に代表されるように「結果平等」ではなく、「結果公平」を説きます。佛縁を結べる「チャンスは平等」ですが、「結果は公平」だと…肝に銘じたいと思います。

若者の早期離職者が増えると、低所得による不安定な生活につながり、結婚も難しく、少子化を招いて日本から未来が奪われます。なかなか難しい問題ですが、今回の十三詣りや七五三、年回等の日本の素晴らしい節目行事に、少しでも自らを見直せる時間がとれればと感じました。合掌

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花まつり

昨日4月8日は「花まつり」でした。別名「灌仏会(かんぶつえ)」ともいい、お釈迦様のご生誕を御祝する行事です。日本では仏教伝来以来の歴史があると言いますが、最近では知らない方も多いようです。作法としては「花御堂(はなみどう)」の中央に「誕生仏(たんじょうぶつ)」をまつり、その仏像の頭から甘茶を注ぐのです。なぜ甘茶をかけるのかというと、お釈迦様がお生まれになった時、九龍が天から降りてきて、香水を浴びせ清めたとの逸話からなります。いわゆる産湯の役目をしたのですね。

甘茶をかけるは日本独自のもので、江戸時代からの風習と考えられています。当時、参詣人は甘茶を竹筒等に入れて持ち帰ったようです。そして、この甘茶で墨をすって書いた「虫」の一字を柱や壁、天上などに貼ったり、「卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗ぞする」と書いた紙を戸口にさかさまに貼れば、長虫(蛇)やムカデ・害虫を退治できるとされていました。 明治頃まではこの甘茶をもらいに来る子供たちで賑わい、また門前には竹筒をうる店がずらりと並んだと言われています。仏教が暮らしの中に溶け込んでいたんですね。かつては、お寺を中心とする村社会がささやかな喜びを共有していたのだと思います。

民俗学者である宮本常一は日本全国の農村を歩き、その生活について書き留めたと言います。『家郷の訓(おしえ)』の中で「かつて人々は幸福というものの意味をよく知っていた。それはただ、人並みに暮らすと言うことであり、村の仲間と共働することであった。そこには泣き言も不平もなく、我を張るものもなく、人の心の階調があった。」と記しています。

幸いお寺にはまだそのような精神が残っています。そこには個人ではなく、先人への感謝を重んじ、背伸びや不平なく生きる人々の姿があります。まだ仏教にご縁のない方は、是非このような宗教行事から入られることをお勧めします。時代は「温故知新」です!お寺も頑張らなければです。お釈迦様ご生誕お目出度う御座います。心より感謝申し上げす。

合掌

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桜の入学式

今年の入学式は、ちょうど桜の開花時期に当たりました。今の私達には入学式と桜は一体のように思いますが、ある方から明治初期の入学式は9月だったと教わりました。それは高等教育学校や師範学校の先生のほとんどが欧米人で、外国の制度を取り入れていたからだそうです。しかし、国が4月1日から翌年の3月31日を「年度」としてくくった為、国からの補助金や早めの人材確保の関係上、今の時期になったようです。

しかし、平安時代の官人の任命は3月(現在の4月)といいますので、昔から我が国の「年度始め」はこの時期だったのです。明治時代、欧米に合わせようとしたものの、やはり日本には「春始まり」の方が向いていたのでしょう。やはりその国の土壌に適した時期があるのだと思いました。

国民性も同様です。日本人は勤勉にして誠実、責任感旺盛で協調性に富み、忍耐強く礼儀正しい。先人達の努力によって日本は「人材」という世界一優れた資源を持つようになりました。しかし、この国の気候・風土・歴史・文化など国の土壌を一切考慮することなく「個」を全面に押し出し「主張は美徳」とする外国の教育が日本の土壌にあっているのかといえば疑問符です。日本人は体格も小さく、桁外れの才能にも恵まれてもいません。どちらかといえば集団で力を合わせることで、無類の力を発揮する国民だと思います。個人がバラバラに存在しては世界に貢献はできません。

「協調性」と「自己抑制」は表裏一体です。これから入学される方々は「自己主張」も大事ですが、この国の美徳である「協調性」も意識して学んで頂ければと存じます。入学式の時期にあたり、改めて先人達から受け継いだ貴重な資源を捨て去ってはならないと思いました。合掌

 

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春の嵐

昨日は日本列島を暴風が襲いました。隣の牧町では電柱が17本も倒れるという被害がありました。他県でも同様の被害があったようですが、混乱もなく助け合う日本人の精神は素晴らしいものがあると思います。

去年の東日本大震災の直後、アメリカのCNNテレビキャスターは「略奪行為などはショックを受けるほど皆無。住民たちは冷静で、他者と調和を保ちながら礼儀を守っている」と被災地仙台から驚きの声を本国へ送られました。

また、ロシアのイズベスチア紙には「首都圏の公共交通機関は完全に麻痺してしまったが、タクシー運転手は料金をぼったくろうとせず、粉々に割れたショーウインドウがあっても誰一人盗みに入ろうとしない。行列の場でも喧嘩など1つも起こらない。店員は水を配り、どの施設もトイレを開放していた」「日本人は上からの命令でそうしてるわけではない…驚くべき自己統制と他者への気遣い。日本人は自分たちを1つの大きな家族と捉えている。このような人々を見れば尊敬のまなざしを向けずにおれない」と。

歴史作家の鈴木旭氏はこう述べられています。

どん底に落ちても他人を思う心を忘れず、自分だけ良ければいいという個人主義、利己主義に陥らず、互いに助け合った。しかも、ごく普通の人々が、ごく普通にやったことであった。

外国人が称賛した日本人の姿は昨日、今日の付け焼き刃で出来ることではない。これは日本人が遠い祖先がら何代も重ねて引き継いで培って来た公徳心、公共意識、日本人のDNAであり、偶然ではない。

先人への報恩感謝。利他の心という仏教精神こそが、豊かな社会を築くのだと感じました。合掌

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